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  • 反田孝之

「根本」と「対症」、それから「順応」

私のファン(笑)の人にはもうお馴染みだろうけれど、「根本」と「対症」というのは私にとってもはや何をするにもキーワードである。しかしここに「順応」という言葉が最近仲間入りした。と言っても私は自然栽培農家だ、順応の概念は当然のように今まであった。だが根本に含める感覚であった。しかしこれは立派に独立した一つのカテゴリーだなと。 順応というのは、あまりにも怪しい。ここに自然という言葉を引っ付けて「自然順応」というのであれば、これは私らにはあまりにも当たり前の感覚である。しかし単に順応というのでは、物事を良くするための指標的な意味合いというより、ただの結果的な現象に過ぎないようにも感じられてしまう。順応した結果、上手くいかなかった、などということもあるかと。 まあ言葉の遊びだ。本人がどう捉えるかで良い。順応が入ったことで、根本でも対症でも上手くいかないと思われることの行き場ができた感じだ。 この世の課題というのは、すべてが「良くならなければならない」わけではないだろう。「順応してみて、悪くなればそれで仕方ない」ですむことだってたくさんあるはず。 ところで昨日の王将戦は残念だった~。まだまだ強くなりたい、と語る羽生は、そのためには相当自分を変えねばならないということを自覚しているはず。まぶしいね。俺もまだまだ変わるのだ。新春の里見加奈の専売特許ではないぞ。

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この言葉が好きである。昨年くらいに本でこの表現に出会った。私が無意識のうちに取ろうとする姿勢がまさにこれ。いかに含蓄がなさそうに振る舞うか。修業時代に学び、憧れ、自然に培った感覚だ。 中身がないことの言い訳だろう、と思うのは自由だし、自然か。私もそう思われて一向に構わない。このことを分かるのは簡単ではないし、分かる必要もない。だからこそ修業は難しい。ついでに、パラドックスぽくてすでに含蓄があるじ

年末くらいからずっと、やたらと眠るようになった。まず夜は毎日9時間くらい寝ている(笑)。朝6時半に起きるというのがバス通学の子供らの日課だが、私が起きれないことで家族で寝坊、ということがあって困る。 そして休日の昼間にも3~4時間くらい寝てしまう。当然子供らから残念がられるし、冬の間にやっておきたい自宅周りのことも一向に手がつかず焦っている。 平時の日中はシャンとしているのが救いか。 例年のことだ

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