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  • 執筆者の写真反田孝之

「根本」と「対症」、それから「順応」

私のファン(笑)の人にはもうお馴染みだろうけれど、「根本」と「対症」というのは私にとってもはや何をするにもキーワードである。しかしここに「順応」という言葉が最近仲間入りした。と言っても私は自然栽培農家だ、順応の概念は当然のように今まであった。だが根本に含める感覚であった。しかしこれは立派に独立した一つのカテゴリーだなと。 順応というのは、あまりにも怪しい。ここに自然という言葉を引っ付けて「自然順応」というのであれば、これは私らにはあまりにも当たり前の感覚である。しかし単に順応というのでは、物事を良くするための指標的な意味合いというより、ただの結果的な現象に過ぎないようにも感じられてしまう。順応した結果、上手くいかなかった、などということもあるかと。 まあ言葉の遊びだ。本人がどう捉えるかで良い。順応が入ったことで、根本でも対症でも上手くいかないと思われることの行き場ができた感じだ。 この世の課題というのは、すべてが「良くならなければならない」わけではないだろう。「順応してみて、悪くなればそれで仕方ない」ですむことだってたくさんあるはず。 ところで昨日の王将戦は残念だった~。まだまだ強くなりたい、と語る羽生は、そのためには相当自分を変えねばならないということを自覚しているはず。まぶしいね。俺もまだまだ変わるのだ。新春の里見加奈の専売特許ではないぞ。

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先日の「つぬさんぽ」なるお祭りで、「今のはんだ牛蒡さんだよ」とささやきながらすれ違う人たちがいた。こういうことはままあって、その時ばかりは私がゴボウ屋であり、うちのゴボウが認知されていることの責任を痛感する。 そうだったよね。さあ、ゴボウ屋よ。このゴボウを作り続けることは責任ですよ。そしてゴボウそのものの陰に隠れた、今までの工夫と努力の過程を誰かに伝えることも。近ごろ記憶が薄れつつあるが、このなけ

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