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「疑う姿勢持って欲しい」というただ一点

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2022年10月1日
  • 読了時間: 2分

エリザベス女王の葬儀には参列した天皇夫妻も含め誰もマスクをしないのに、安倍さんの葬儀では全員マスクをすることへの疑問は、どれだけの人が感じないのだろう。世界一マスクをしている国が、もはや世界有数の検査陽性者を出していることにどれだけの人が不思議さを抱かないのだろう。


マスクぐらい別にいいじゃん、と言う人。マスクがどれだけ日本の将来をゆがめていくかに若者、子供、赤ん坊にまで思いを致して想像を巡らそう。まずは周囲の目を気にしてマスクをするという人が頑張れ、そうでなれは次へ進まない。


「何かおかしくないか?」という感性と、「このまま行ったらどうなる?」という理性を大事にしてもらいたい。とりわけ子どもたちには。


そういうわけで、毎年複数件受け入れる小中高生の体験や授業などは、今はすべて「疑うことの大切さ」の視点でやることにしている。「世の中、マスコミ、専門家、大人は嘘つきばかり」と伝えることが最大のテーマ。疑う姿勢さえ身に着けてくれれば、あとは何とかなる、という思い。そして今年からギアを一つ上げた。私は、せっかくマニュアルや専門家の言うのと違う方法で曲がりなりにも成功している立場であるのだから、ここで一肌脱がないというのでは犯罪に等しい。そこまで思い詰めている。


あとはいつまでうちに来続けてくれるかということ。先生たちへの批判にもなっているわけだから、「先生ごめんなさい!もう止まらない!」と断りながらのパフォーマンスだけでさすがにすべてが丸く収まるとは思っていない。現代の教師の多くがただの板挟みとも聞くけれど、彼らだって人間だ。そしてもう一つ、それらの学校にまだうちの子が通っているという捻じれ。


春からの連続体験授業で小5が、9月は中1が2件で昨日で終わったと思ったところに、小2の話も昨日舞い込んできた。まさに息子のクラス。さあここではどうやろうか。先生たちには申し訳ないが、というより先生たちや学校にも何かのプラスになるという奇跡も期待して、この「疑うことの大切さ」の視点を外す気は今のところはない。


そして呆れられたらそれまでだ。仕方がないで済ますしかない。


ところで昨日気になったことが一つあった。実はテレビ取材の申し出があったらいしのだ。しかし断っていただくようお願いした。まさかマスコミさんの前でこのテーマでやるわけにはいかないから。申し出はどういう経緯だったかは知らないが、経緯によっては大変申し訳ないことをしていると悔む事情が実はある。しかしこの期に及んではこれもまた仕方がない。申し訳なさを押し殺して進むのみである。

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