top of page
  • 反田孝之

おもしろくなってきた

新年早々、経営以外のいろんな用事が集中してきた。今まで待ってもらってた人も多く仕方がない。でも考えることが多いし、資料など準備する時間もなくてちょっとパンク気味。


もちろんほとんどすべてが自然栽培や無肥料栽培の絡み。ちょっとややこしいのが、私がいわゆる普及型の、つまり国や県が勧める有機栽培にまったく興味がないということ。興味がないものを勧めることはないので、相手の理解との齟齬を埋めることにまずは苦心する。


国が言い出したものはすでに時代遅れ、というセオリーに反応できるセンサーがあるかどうか。大河の流れには誰も逆行できない、悩む余地はなくて、いずれ主流になるんだから早いか遅いかだ、と私は思うんだけどね。センサー次第。


ところで、当地の自然栽培普及の「A面」は内藤さんのおかげで凄いことになりつつある。この波は少なくとも来年も続きそうだから一安心。私は「B面」を行く。ただね・・ちょっとスランプだから、どこまでやれるか。


写真はぜんぜん関係なくて、トンネルの草の様子。はやくシゴしたくて落ち着かない。ちなみに条間に肥料が撒いてあるのが分かった人は大したもんだ(昨日の写真も)。この圃場は砂気がひどく経営を考えて「仕方なく」有機肥料を使っている。本当は化学肥料を使いたいんだけど、有機JASとってるからね。くだらないな、有機JAS。条間の表面で効くのかって?自然栽培に堪能してくると、肥料の使い方が分かるのよ。逆説的で粋だね~。ついでに、有機肥料って元肥に使ったり土に漉き込んだりしないがいいよ。だいたいいいことがない。


最新記事

すべて表示

この言葉が好きである。昨年くらいに本でこの表現に出会った。私が無意識のうちに取ろうとする姿勢がまさにこれ。いかに含蓄がなさそうに振る舞うか。修業時代に学び、憧れ、自然に培った感覚だ。 中身がないことの言い訳だろう、と思うのは自由だし、自然か。私もそう思われて一向に構わない。このことを分かるのは簡単ではないし、分かる必要もない。だからこそ修業は難しい。ついでに、パラドックスぽくてすでに含蓄があるじ

年末くらいからずっと、やたらと眠るようになった。まず夜は毎日9時間くらい寝ている(笑)。朝6時半に起きるというのがバス通学の子供らの日課だが、私が起きれないことで家族で寝坊、ということがあって困る。 そして休日の昼間にも3~4時間くらい寝てしまう。当然子供らから残念がられるし、冬の間にやっておきたい自宅周りのことも一向に手がつかず焦っている。 平時の日中はシャンとしているのが救いか。 例年のことだ

私のファン(笑)の人にはもうお馴染みだろうけれど、「根本」と「対症」というのは私にとってもはや何をするにもキーワードである。しかしここに「順応」という言葉が最近仲間入りした。と言っても私は自然栽培農家だ、順応の概念は当然のように今まであった。だが根本に含める感覚であった。しかしこれは立派に独立した一つのカテゴリーだなと。 順応というのは、あまりにも怪しい。ここに自然という言葉を引っ付けて「自然順

bottom of page