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農業の開始と教え子たちのこと

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 3月4日
  • 読了時間: 2分

更新日:4月3日

他所へ提出の原稿を書こうとして、またこの時期が来たことに気がついた。3月の今ごろは、私が今の農業を始めた時期になるのである。


直前まで千葉県の進学塾に勤めていた。塾の年度の区切りは2月末のため、私の契約もそこまで。さっそくその春から田んぼを2haほど始めることになっていたので、急いで荷物をまとめて戻ってきた。


機械・設備は補助金を利用して揃える予定だったので、それが決まるまでは一切購入できない。でもトラクターがないことには始まらないので、1台だけ、中古の小さな17馬力を30万円で買った。生まれて初めてトラクターによる耕うん作業をして、ついに人生を賭けた博打が始まったと身が引き締まったことが、つい昨日のことのように思い出される。


一方で、塾では最後に受験生も30人くらい抱えていて、高校受験を終えて放っておくわけにはいかない。塾への義務はなかったが、合否の結果を取りまとめて報告することを口約束でしていたし、何より子供たちには私が先生をやめることは言っていなかった上に、子供らにとっては合格発表の後に塾の先生から連絡も何もないということは考えられないことである(都会の受験は学校より塾が多くを負っている)。それで合格発表を待って、農作業の合間に電話で一軒一軒、親御さんへ挨拶をし、久しぶりのテンションで子供らと喜びや悔しさを共有した。


その時の子ども達は今36歳だ。その前の一番早い教え子はすでに39歳。みんな元気にしているだろうか。家庭も持ち、すっかり活躍している歳。この時期になると農業のスタートを思うと同時に、彼ら彼女らのことを思い出す。


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