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この歳で「自分探し」か

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

こんなに晴れたのはいつ以来か。気分はすっかり春。事務所入り口からの景色。



ただ今年は同じ春でも見え方が違う。何か物悲しくてならない。「知らぬは自分ばかりなり。」そんあなことがあった。


変わる人がいる。変わらない人もいる。「全然変わらないね~」と長らくぶりに会う人に良く言われる。相手は変わらない私を期待して、変わらない私に会って喜んでいる。それは見た目であり、話し方のノリだろうから、相手にぜひ喜んで欲しいと思う私は、なるべく以前と変わらないように意識して振る舞っている。


しかし中身はずいぶん変わったことだろう。常に変わりたいと思って生きている。変わるとは知るということである。何かを知ってしまったということは、すでに今までの自分ではなくなっているということ。もっと知り、もっと変わっていきたいと願う。


ただ、変わるということと幸せになるということの間には相関がない。変わらない、つまり知らない方が良かったということはこの世にごまんと転がっている。


だから変わった方がいいのか、変わらない方がいいのか、という問いには、どちらでもいい、と答える。どちらであっても、大差のないままそのうち死んでいくのだ。ただ幸せに生きて幸せに死にたいと思うのが本能だ。だから迷い、悩む。


ちょっと前に、どうやらこの歳で「自分探し」を始めたということに気が付いてしまった。自分探しほどくだらないことはないと常々思っている私だ。これを戒めるために書き始めたら、いい具合にどうでも良くなってきた。

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