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どうして農業をやっているのか

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 10月18日
  • 読了時間: 2分

今日の午後、ついに休んだ。もちろん本線作業は満載。でもそろそろ潮時かなと。


で家に帰って2時間ほど爆睡したあと、次男用に買った漫画、「ザッケン」が目に留まる。高校の雑草研究会なるサークルの物語(全四巻)。ちなみにこの漫画の「監修」となっている中尾佳喜くんはかつてうちで研修していて、今でもゴボウの収穫の季節には手伝いに来てくれている。


これを読みながら、そういえば自分も小学生の時は雑草に興味があったなと。図鑑で手当たり次第に調べたり、スケッチしたり。まあ虫や小動物もたくさん飼っていたので、生き物全般に興味があったのだろう。それがいつの間にか興味が薄くなり、山の勉強がしたくて入った大学時代でも、興味があるのはマクロな生態系や自然全体で、個別の植物や生き物にはあまり興味がなくなってしまっていた。果たして友人らと比べて自分は自然が好きなのかどうかということに時々悩んだものだ。


実は今だって農業が本当に好きなのかどうかわからない。というのも私は家庭菜園のように細々した畑仕事が好きでない。例えば定番のトマトやナスなどを育てたいという願望がない。その世話が億劫ですらある。だから自宅の自家菜園はほとんどすべて女房任せ。私のことを農業の専門家と思っていろんな野菜の栽培方法を聞いてくる地元の人は少なくないけれど、そんなことだからほとんど答えらえない。一方で今育てているゴボウ、お米、大豆については知識や技術の蓄積はそれなりだろうから、いろいろ考える挙句、ここでもどうやらマクロな自然の全体像にしか興味がない性格を地で行っているのだろうと思われる。


少しでもマシな仕事をしたいから農業を始めたと、もういろんな場で公言してきた。でも農業は食っていくための手段で、本当は自然のこと――決して教科書に載っていないこと――をもっと知りたいだけのことなのかも知れない。


まあそんなことは何だって良い。ロマンチストはリアリストでなければならない。とにかく明日からまた目先の作業を歯を食いしばって片付けていく。

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