農業、とりわけ我々の様な少数派の自然農業のおもしろいところは、作物の育て方がほとんど確定していないというところだ。土をどんな感じで耕したらいいのかとか、何センチ間隔で種を蒔くとか、草をどうやって抑えるかとか、ようするに何から何まで決まった管理の仕方がない。きっとこうだろうな、と逐一自分で考えてやっている。
おもしろいところ、と書いたが、これを逆に嫌なところと感じる人も多いらしい、というかこちらの方が明らかに多そうである。どうやったら正解でどうやったら不正解なのか、こうすればああなるし、ああすればこうなる、ということが分からないと不安でしかたがないという人が多いのだ。研修生とそんな話をする。彼はこれから大いに慣れていかないとならない。
私は今の農業を始めたことによってよっぽど鍛えられたとは思っているが、始めたときもそれほど違和感はなかった。学生時代に「自然とは何か」「自然を知りたい」の一念でどっぷりと自然に分け入ってきたことが、このような感覚をはぐくんでくれたのだと思っている。
このようにさらりと流してみたけれど、少数派がゆえ、これは立派な職業病といってもいいかもしれない。例えば私には、何かと判断に自信を持てる人が、まぶしいというか、不思議に思える。そりゃ私らだって、経営者なんだから、ああだ、こうだとテキパキ断定して物事を進めていくけれど、それらの決断の一つ一つに、いちいち自信がないとまではいかなくても、常に不安を抱いているもので、本当にこうなのか、本当にああなのか、見方は合っているのか、判断は間違っていなかったのか、かなり長いあいだ頭の中を逡巡している。
これは、終わったことはさっぱり忘れる、ということがない、ということでもある。終わったことをいつまでもグジグジと悩む(考える)。複雑な自然現象を相手にして、こうやって引き出しを増やしていく。
何が何だかわからないことだらけの人生の楽しさよ。いい人生だった。ついさっきから、急に首が痛くてならんよになった。心当たりはない。
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