top of page

わからないことだらけの人生

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

農業、とりわけ我々の様な少数派の自然農業のおもしろいところは、作物の育て方がほとんど確定していないというところだ。土をどんな感じで耕したらいいのかとか、何センチ間隔で種を蒔くとか、草をどうやって抑えるかとか、ようするに何から何まで決まった管理の仕方がない。きっとこうだろうな、と逐一自分で考えてやっている。


おもしろいところ、と書いたが、これを逆に嫌なところと感じる人も多いらしい、というかこちらの方が明らかに多そうである。どうやったら正解でどうやったら不正解なのか、こうすればああなるし、ああすればこうなる、ということが分からないと不安でしかたがないという人が多いのだ。研修生とそんな話をする。彼はこれから大いに慣れていかないとならない。


私は今の農業を始めたことによってよっぽど鍛えられたとは思っているが、始めたときもそれほど違和感はなかった。学生時代に「自然とは何か」「自然を知りたい」の一念でどっぷりと自然に分け入ってきたことが、このような感覚をはぐくんでくれたのだと思っている。


このようにさらりと流してみたけれど、少数派がゆえ、これは立派な職業病といってもいいかもしれない。例えば私には、何かと判断に自信を持てる人が、まぶしいというか、不思議に思える。そりゃ私らだって、経営者なんだから、ああだ、こうだとテキパキ断定して物事を進めていくけれど、それらの決断の一つ一つに、いちいち自信がないとまではいかなくても、常に不安を抱いているもので、本当にこうなのか、本当にああなのか、見方は合っているのか、判断は間違っていなかったのか、かなり長いあいだ頭の中を逡巡している。


これは、終わったことはさっぱり忘れる、ということがない、ということでもある。終わったことをいつまでもグジグジと悩む(考える)。複雑な自然現象を相手にして、こうやって引き出しを増やしていく。


何が何だかわからないことだらけの人生の楽しさよ。いい人生だった。ついさっきから、急に首が痛くてならんよになった。心当たりはない。

最新記事

すべて表示

不甲斐なさと諦めと

大豆の色選掛けが、気温が上がった時間帯を選んで今日も淡々と進む。明日が大豆の検査。検査ロットだけは何とか間に合わせたい。でも今ギリギリどうかというところ。 寒々しい作業場から窓の外を見る。山陰の冬だ。子供の頃から慣れ親しんだ冬だから、冬とはこういうものだと思っていたつもり。...

病床の年越し

ここ数日はまたまた病床に伏せっている。すっきりと元気になったはずだったのに、あれあれ何かおかしいぞ、と気がつけば急性心筋炎。病院には行かんからもちろん見なし。でも症状からして間違いない。 不調が出てから気がつくまでの間に数日あって少し無理もしたし、目の前に住む方がまさにこれ...

復活の程度が半端でない

久々の更新。 今朝布団から出てみて、あれっ?と。体が軽いのだ。そういえば以前は朝ってのはこうだったような・・。もう記憶にないくらいに久しぶりの感覚。なんたって近年の私は、朝の起き立てが一日でもっとも疲れているっていう有り様だったから。こんな日が続かないまでも時々あるといいな...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page