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ゴボウの準備の気持ち

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

来年のゴボウの準備が始まっている。厳密にはとっくの以前から。ゴボウの準備は遅くても収穫の1年8か月前から始める。このたび準備しているものもそう。


昨日やったのは緑肥(ソルゴー)の粉砕。



本当は7月31日にやったこと。その後、雨や洪水のせいで耕せずにいたらまた元の大きさくらいに伸びてしまったので、改めて粉砕したわけ。


この畑はうちの圃場の中でも一番古い圃場だ。農業開始したての2004年4月から耕作している。わずか0.16haと決して使い勝手の良い圃場ではないけれど、田津地区の中では土に粘りがある方で、初期の管理の過ちを清算して、近頃ではいろいろなものが良く育ってくれる。農業開始初っ端にハト麦若葉なるものを試験栽培し、両親や当時の土木部スタッフまで動員して草取りをやったことがあまりにも懐かしい。


あの頃は、果たして無事に育つのか、経営が成り立つのか、という不安が絶大の中、あまりにも希望があった。しかし今はどうか。不安はまったくなくなったが、希望が無くなってしまった。この圃場も来年ゴボウを作付けすることは間違いないけれど、もしかするとそれで最後になるかもしれないのだ。


この圃場、若葉栽培のため初期にずいぶん鶏糞などの肥料をぶち込んだ。それが致命傷になると知った2009年以降、ゴボウも大豆も病虫害にしこたま見舞われ、ようやくここ数年でいいものが取れるようになっている。来年のゴボウもきっと品質に間違いはない。洪水さえ来なければ・・。


しかし差し当たり来年洪水が来なければそれでいいというものでもない。私が死ぬまでの間に、人為的な養分供給を一切しないことでこの圃場がどのように変わっていくのかを見届けること、そして子らが続きをやってくれるなら、どんな変化を彼らに見せてくれるのかと思いを巡らせ管理していくことが、何よりの楽しみであった。しかしその楽しみは絶たれてしまった。この所在のなさをどうしたものか。


世の中には農地や土というものをただの「床」と考えている農業者が少なくない。そういう人たちにとっては、土とは根が張りさえすればいいのであって、毎年変えたって別にいいじゃないかと言わんばかりでもある。しかし我々の場合はそうはいかないのだ。


いろいろと考えるべきことが多過ぎる。でもそれ自体はもうずっとだったから何ということではない。今までと違うのは、希望が必ずしも伴っていないということ。この辛さが如何ともし難い。

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