ゴボウはいつか止めざるを得ない
- 反田孝之
- 2020年7月19日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年8月4日

久しぶりに大豆の主戦場である今田地区の管理。
長雨のため、除草がすっかり手遅れになり、さらに湿害で生育がいまいちの状況で、せめて最後の土寄せの工程まではやっておきたいと、乾きがマシな圃場から順次入っているところ。「マシ」というだけだから仕上がりは当然上手くいかない。でもまだしばらくはこんな天気が続くらしいからやるしかない。
大きな被害が出てしまったのだから、他の取れるところで取る必要があるのに、この今田の大豆の体たらく。米もそれほどいいというわけではないし、意外にも収穫が順調に進んでいるゴボウも掘ってみると細いものが多く、総量はかなり少なそう。雇用もしたというのに、今年はかなりの売り上げ減が間違いない。昨年から新設された収入保険に加入しているのが救いだ。
いつもなら「対策はいくつも考えていて不安どころか希望が大きい!」と言うところだが、ここで目の前に横たわるのがこの度の洪水である。4年に1度平均で中規模のものが来る、という前提で今の経営を作り上げてきたのに、これだけ規模と頻度が変わってくるとちょっと手足がでない。異常気象というのはおそらくあるんだろうけど、実は一つ大きな要因があって、上流で整備されつつある堤防だ。それで田津が洪水に遭いやすくなっているということが、田津の地形を見るとあまりに容易に推測できる。つまり気象が異常でなかったところで田津の洪水はこれから規模と頻度を増していくということだ。
このことはあまりにも絶望的要素である。以前から覚悟はしていたが、見ないふりをしていた。いつかはゴボウをはやめねばなるまい。問題はそれがいつかということ。
日本一美味いと散々持ち上げられるゴボウも、堤防という人間の文明によって葬り去られるのである。堤防を全否定することはあまりに難しい。だからこれは必然の結末ということになるだろう。
ゴボウ栽培はもちろんまだ続けていくつもり。しかし子らの代まではおそらく持つまい。幼いながらも「はんだ牛蒡」に誇りをもってくれている様子を見るにつけ、そのことがこの上もなく残念でならない。
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