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執筆者の写真反田孝之

一人のキチガイから始まるんだな

たびたび紹介するように、当地では自然栽培への理解は行政にまで浸透している。この点は大変誇れることだと思う。


こうなったのには素地があって、当地では早くからいわゆる有機栽培の認知度が高かったことがあげられるだろう。私が今の農業を始めた19年前ですでに、まだ物珍しさで見られていたとはいえ、そういう栽培が会社経営的に行われることに不思議を感じない人は、それなりに多かったと思う。


そして私はといえば、それから5年後に自然栽培の具体的な世界を知り、転換した。その時に周囲には特別変わった反応というものはなかった。自然栽培はガイドライン上は有機栽培に区別される。「反田は、有機栽培の中で何かこだわったことをやっているのだろう」くらいに思われていたはずだ。


ただ自然栽培とは何かとの説明を一たび始めると、そう簡単に理解はしてもらえなかった。酷い場合は宗教扱い。しかしそれは単に表面上の悶着で済んだ。実際に10haを超える規模で実践しているのだ。誰だって否定も無視もできるわけがない。


数年すると理解者も増え始め、あちこちで自然栽培の意義を説明する機会をいただき、そして地味ながらも、うちが自然栽培による経営をしっかり守ることが、この栽培の理解を当地に広めためにはもっとも有効な手段だと念じやってきて、ゆっくりでも着実に今日に至ったように思う。


以上のような事情を冷静に客観的に顧みると、当地で自然栽培への理解が進んでいることは、本当に運が良かったというしかない。


これがもし、まったく異なる事情、例えば、地域が慣行栽培一色で、いわゆる有機栽培(くだらないものだとしても)の実践者もいなければ理解者もいない、という中で一個人が自然栽培の良さを知り、普及したいと思ったとしても、農業の分野は実に保守的だ、気違い視されて、まずは弾き返されるか揉み消されるかがオチである。


しかし社会の自然栽培への志向は、すでに大河の流れである。流れはゆっくりでも抗うことはできない。その流れにできる限り早く乗るためには、地味でも一人ずつ理解者を増やすしかない。


逆に、それなりの立場にあるにも関わらず、自然栽培の事情を詳しく知らないまま懐疑し、否定し、興味を持てないという人は、ぜひ大河の流れの一端を垣間見てみて欲しい。一個人をキチガイ視している場合ではないし、現状が相対的にどれだけのものを失っているかが分かると思う。


ゴボウの腐敗実験。今朝の写真。

左:6月収穫のうちのゴボウ

右:同じ時期にスーパーで買ったゴボウ

付箋が邪魔だな。

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