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不甲斐なさと諦めと

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

大豆の色選掛けが、気温が上がった時間帯を選んで今日も淡々と進む。明日が大豆の検査。検査ロットだけは何とか間に合わせたい。でも今ギリギリどうかというところ。


寒々しい作業場から窓の外を見る。山陰の冬だ。子供の頃から慣れ親しんだ冬だから、冬とはこういうものだと思っていたつもり。でも表日本から移住してきた人が口をそろえるように、実は意外と自分も精神が蝕まれているのかなと、最近思う。ここ数年はどうも物悲しくてならない。


それは、体調がいまいち良くないせいかもしれない。今期の成績が悪いのに、機械の故障や修理費がかさんでいるという経営的なことかもしれない。そしてそれらのことも含め、自分の不甲斐なさを悔やむせいかもしれない。


不甲斐なさというのは、私が10代の頃からずっとさいなまされている感覚である。まあこの不甲斐なさのおかげで努力を人一倍やってきたともいえるのだから、そう悪いものでもなかろう。そして不甲斐なさも人一倍の努力も、できない自分もできる自分も、すべてこれでいい、というか「これで仕方がない」という意味での自己肯定感は高く持ってきた。


しかし、だ。どれだけ頑張っても、まったく改善しないどころか、むしろ悪くなるということはあって、もう自分でどうしていいかがわからない、つまりこれから先、良くなることはない、ということを感じる場面が多くなっている。そしてその頑張った過程、努力した過程を思うと、何か他人事のように自分が愛らしくなって、情けなく、みじめになる。


結論は見えている。自分が変わるしかない。こんなことを考えて、もう長いが、この歳ではなかなか変わらない。でも少しずつ変わってもいる。だから継続しようと思うものの、いつ私が期待するようにすっかり変われるのかと思うし、変わったあげく自分は果たして報われるのか、むしろ悲惨な目に遭うのか、それも何も分からないでいる。


変われた暁には、例えば5年後とかに、「あんなスランプの時期があったな」と振り返れる日がくることをただただ願っているが、まあ来なくても仕方がないかとも思う。足るを知るべし。

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