top of page
  • 執筆者の写真反田孝之

久しぶりに心の奥底から感動が湧いてきた

土曜日は「ノブ・シオダ メモリアルコンサート」へ。桜江が誇る文化人の塩田信之氏を偲ぶコンサートである。今の農業人生のせいか、歳のせいか、すでに音楽やコンサートにはあまり興味がでない。それでもこのたび行ったのは、前に書いたこういう事情からだ。

奏者は、寺神戸亮氏。当然知らない。しかしプロフィールを見ると大変な方だし、調べてみると断トツの方だった。こんな方の演奏が聴けるのか!と。 そしてその時を迎える。そして久々に心の底から湧き上がる感動に包まれる。私の感動の源泉は、何というか、どうやったらこんなに弾けるようになったんだろうと。才能は言うまでもなく、どんだけ練習したらここまでになるんだろうと。その練習シーンが浮かんでくる。しかしながらもはや別の人類。練習をすることでこんなにも違う「生き物」になれるものかと。私のこれらはバイオリンを習っていたがために抱いた感情であることは明らか。 そしてふと聴衆を見回して、みなさんは何をどう感じているのだろうかと。バイオリンと縁のない人はどんな聞き方、感じ方をするんだろうと。当然私とは違っているはず。 なんだってそうなのだ。人は、自分の人生をもってしてでしか感じることはできないし、その人生なりの感じ方になるわけだ。人は経験するために生きていて、そして経験は視野を広げるためにするもので、さらに視野は幸福を感じるために広げるもの、だと考えるとき、感動が幸福の源泉であるという結論をたやすく導くことができる。 この歳になっても感動は追い持てめていきたいし、できれば子らにこういう「幸福のからくり」を伝えたい。そんなことを、隣で一見してつまらなさそうに座っている子らを見て考えていた。


最後に、このたびコンサートの開催にこぎつけられた主催者の方々に最大の敬意を表したい。

最新記事

すべて表示

因果な仕事

小学校は1学期最後の日ということで、朝から元気な小4と特に小1の我が子。まあ賑やかなことで、相手をするのが大変だった。静かで落ち着いた朝にあこがれる。 もちろんそれが勘違いであることも知っている。いつかそうなるであろう、寂しい朝。静かではなく、寂しい朝。あんな日があったなと...

わからないことだらけの人生

農業、とりわけ我々の様な少数派の自然農業のおもしろいところは、作物の育て方がほとんど確定していないというところだ。土をどんな感じで耕したらいいのかとか、何センチ間隔で種を蒔くとか、草をどうやって抑えるかとか、ようするに何から何まで決まった管理の仕方がない。きっとこうだろうな...

中高生はまずは好きなことをやれ

年度初め、4月1日。我が家には普通は何の区切りにもならない。しかし今年は高校へ進学した長男が、さっそく部活動で初登校ということで、それを感じさせる朝となった。 長男が今の高校を選んだ基準は、部活動である。しかもありがちな強いとか有名なところを選んだということではまったくなく...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page