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執筆者の写真反田孝之

個性なんてないほどいい

「個性」という言葉がある。職人の修業をしてきた身にとって、この言葉の使われ方ほど鬱陶しいものはない。ちょっと頑張りの足りない子に対して「個性だ」で片づける。これから社会に出ようとする若者に「大事なのは個性だ」と煽る。仕事が下手で苦労している人に「下手は個性なんだからそのままでいい」みたいなのになるともう意味不明。どこまでいい恰好したいんだよ。


個性なんてないほどいい、という場面は多いはずだ。職人の世界は最たるもので、だから修業というのはまず自分を消すことから始める。まず取り組むことが、親方の言われるままにやってみるということ。そして親方の一挙手一投足を真似、考え方まで親方のように変えてみる。それは同時に、自分のこだわりや流儀といったこれまでの取るに足りない人生で積もり積もったカスを洗い落とすという行為であり、これまでの自分を否定したり放棄したりするということでもある。


その結果、ようやく自分が切望したパフォーマンスが得られることになる。これは理屈ではなく、人類が経験値として獲得してきた法則である。

私がやっている農業などは、よりこういう色が濃いと言ってもいい。大切なのは土の力を最大に発揮させることであって、言ってみれば私は土や作物へのただの奉仕者である。ただの奉仕者に個性なんか必要ない。土や作物の要求にただ黙って応えればいいだけなのだから。


それがうまくいった暁には、最高の農産物が取れる。うまいうまいと喜ばれ、すごいすごいと持ち上げられ。生活も上手くいき、幸福感も高まる。ああ、個性がなくてホント良かった!


農業や農作業人生を志してどうも上手くいかない人というのは、私から見ると個性がちょっと強すぎるね。あからさまにそう思うもん。


農業者以外でも、個性が大事だと闇雲に考えていたり、自分を消し去ると不幸になるとか生きている意味がないとか本気で考えている人は、考えを改めてみることをお勧めする。きっと生きるのが大きく楽になる。

ところで今日書いたことは、肥毒(土に入れてきた不自然なものの総称)を抜けば上手くいく、という自然栽培の原理原則と相似形。肥毒を個性と勘違いしている人が多いんよね。人間も一緒。


おめえらも、個性なんていらねえからな。



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