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  • 執筆者の写真反田孝之

共同作業のあうん

農業をやっていたり、やっていなくても田舎に住んでいれば、草刈りなどの共同作業がつきものだ。今日は朝から今田地区のイノシシよけの柵周りの草刈りを。


滅多にやらない箇所だけに、竹が生え、ツルが巻き、どこをどのように手を付けていいかわからない状態。そんなのが総延長500mでそれを4人でやろうというのだから、みんな集まったはものの及び腰。しかしブツブツ言いながらもやりだすと案外やってしまうもので、みっちり3時間かけてとりあえず形にしたところ。


こういう手の付け方が決まっておらずにやり方が何通りも考えられる作業を共同でやるというのはなかなか面倒なもの。いいと思う方法が各々で違うためだ。このたびもぶつぶつ言いながら始めたのはそういうこと。ああした方がいい、こうした方がいい、と口々にぼやきながらも、しかしこのたびはそれなりにみんな「大人」。とりあえずリーダー格の人が考えた方法で始め、途中でらちが明かないということで変更はあったものの、何とか4人の合意の範囲で無難に終わらせることができた。


こういう合意が意外と難しいのだ。往々にしてケチをつけて譲らない者がいるから。そういう人に限って現場をあまり知らない。自治会などの作業ではこういうのがいてよく呆れる。このたびは農業者ばかりが4人で、共同作業の「あうん」というものを知っているから上手くいった。


私に言わせれば、この手の共同作業を上手く進めるコツはこうだ。まずはその作業に堪能と思われる人(リーダー)を決める。そしてみなが好き好きに自分が最良と思う方法を言う。そして最後にリーダーが決め、全員がそれに従う。やっている途中で不満や異論が出ればリーダーに伝えてもいい。しかし変更などの判断はあくまでリーダーに従う。


どういう方法を取ろうと、みなが一つになれば、どんな方法を選んだとしても結果は大した差にはならないというのが、共同作業のあうんである。それは現場の経験を積むことではぐくまれる感覚だ。


しかるにこれはあくまで草刈りなどの、人の命にまでは関わらない共同作業についての話である。戦争に当てはめてはいけないというのは、日本人ならよくわかるはずだ。


コロナ騒ぎも同じ。この国(地域)の未来や、自殺者も含めた命への考え方がなっていない為政者の言うことを聞く必要はない。彼らのほとんどは評価(選挙)のためなら他はどうでもいいんだから。


繰り返すが、日本人ならよくわかるはずだ。いや、やっぱわかんないか。

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