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まさかの恩人の死

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 1月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:3月7日

人生の恩人はたくさんいるけれど、誰か3人を上げろといわれればすぐに思い浮かぶ。そのうちの1人が昨日亡くなられたときいて、呆然としている。


22年前、千葉市緑区の夕闇の迫る田んぼの畔で鳴った携帯電話からすべては始まった。農業を始めたくてくすぶる私をUターンさせ、今の農業を始めるレールをすべて引いてくれたのがこの方だ。当時私も必死だったが、県やマスコミを巻き込み、高額の補助事業や国の制度も導入し、後に引けない彼も必死だったはず。「失敗したら夜逃げしかないぞ」は冗談でなく本気だったろう。他の2人の恩人と違い、私を信じて一緒に大博打を打ったのだから、恩師だけでなく同志だともいえる。当時の彼は確か50くらいだったから、今の私よりより若い。よくぞ思い切ってくれたものだと、今思えば驚嘆しかない。


農業を始めてからも、折に触れて援護をしていただいた。この事務所兼出荷場兼作業場の取得、JAS洪水問題、環境直払問題、大規模補助事業などは大きなところとして、小さなことを入れると恩はもう数えきれない。


一方でドライさに憤慨したこともある。「刺してやろうか」と思ったこともある。しかしもちろん心の底では通じている。「あんたはわしに足を向けちゃ寝れんのお」と独特の笑いを交えて言っておられたことが今となってはあまりにも懐かしい。


代々の農家でもあるから、役所の現役の時から「今年はこれだけ売り上げた」と自慢そうに指を立てておられた。退職されてからはその指が増え、充実の様子を伺い知ることができた。曰く「極上の田舎生活を作る」のだと。


彼に教示や薫陶を受けた人も多いと聞く。私は今の江津市の活気は、この方の存在に負うところが大きいと思っている。


木を切っていて倒木の下敷きになって亡くなられたと聞いた。ああ、喪失感があまりに大きい。ただただご冥福をお祈りする。


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