反田孝之2021年1月28日読了時間: 1分我が人生に一片の悔いなし宇宙の外側ってどうなってるのかね。生命って何だろうね。いろんなことがくだらない。ふふふ、ジッと行くよ。私は私の道を行く。どうせそう長くない人生だ。(常識的に)皆から忘れ去られるくらいがちょうどよい。迷いなくそう思える人生に感謝しかない。我が人生に一片の悔いなし。この季節外れの晴天を見ていたら、ついこんなことを書きたくなった。
宇宙の外側ってどうなってるのかね。生命って何だろうね。いろんなことがくだらない。ふふふ、ジッと行くよ。私は私の道を行く。どうせそう長くない人生だ。(常識的に)皆から忘れ去られるくらいがちょうどよい。迷いなくそう思える人生に感謝しかない。我が人生に一片の悔いなし。この季節外れの晴天を見ていたら、ついこんなことを書きたくなった。
盲腸騒ぎ今日は末っ子が楽しみにしていた保育園の親子遠足。なのに出発してしばらくして女房から、娘が腹痛のため戻ると電話が。これまでにないくらいに痛がったらしい。送ってくれた先生と女房の話では盲腸の疑いがないかという。急いで病院へ連れて行った。 結果は原因不明。盲腸でなくて良かったのと、原因不明でまたこれから思いやられそうなのと、思いが交錯。事務所で昼飯を食う今、痛みは少し落ち着いたらしく、目の前でパソコン
一心不乱にお経を唱えるということ身内の不幸が続く。先月は女房の祖母、96歳。このたびは近所に住む私の叔父、81歳。ともに悪くなってからが早かった。 人が自宅ではなく病院で死ぬようになってから死は我々から遠い存在になった。現代ではその遠くなった死について、かろうじて考える機会を与えてくれるのが通夜の際の坊さんの説教だろうと思う。好き嫌いというとはばかられるが、このたびのお坊さんは地元中学で教鞭をとられていた方だから説教も分かりよく