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  • 執筆者の写真反田孝之

我が家ではよく死の話をする

末娘「あかり」、4歳11か月。最近平仮名がいくらかかけるようになってきたので、よく手紙を書いてくれる。


これは1月前にくれた手紙。「お」とか「ち」とか左右がでたらめなのはご愛敬。

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『おおちの ひとも ありがとお

ほいくえんの ひとも ありがとお

おとおさんも しんでも あかりさんのこと わすれないで


みんなへ

あかりより』

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彼女か書いてくれる手紙にはやたら死という言葉が出てくる。もちろんみんな私のせい。私がよく死の話をするからだ。


こうやって日ごろから軽く死の話をすることはいいことだと思っている。現代の日本人の特徴といって一つ挙げられるのは、死がタブーになってしまったことじゃないか。まあいろんな知識人も言ってること。まさにそうだと思う。死がタブーになるとたくさんのことが委縮する。コロナ騒ぎだってそうだ。死を前には冷静にいられない。死を前にするからこそ冷静にいるべきなのに。


先生「殺すぞ!」

生徒「やれるもんならやってみろ!」

逆でもいいんだけどね。こんな会話が平気でできる世の中ってそう悪くはないと思うけどね。


我が子らには、何事があっても死を不必要に恐れることなく、充実感をもって生きぬいておくれ、と祈る。

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別に。ただ合わないってことよ。

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