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教え子らが気づいてくれたか

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2020年7月30日
  • 読了時間: 2分

洪水翌日のNHK取材が、まあ島根版だろうと思っていたのに、あのような全国放送と知っていたら受けなかった。何も良いことがないからだ。案の定、当日から携帯が鳴りまくり。仕事がまったくはかどらんので、申し訳ないけれど業務上のもの以外は一切出なかった。いまだに折り返ししてません。ごめんなさい。


ただ、そうかあ、と思ったことがあって、それはかつての「教え子」らが少なからず見かけてくれたのではないかということ。


29~33歳の5年間、私は関東の進学塾最大手の一つである「市進学院」で専任講師をしていた。今は凋落傾向だが市進と言えば当時はそれなりに千葉の雄。五井、土気、四街道の3教室で、5年間の教え子はおよそ600人、そのうち担任だったのが400人くらい。それなりの人数だし、自分で言うのもなんだが人気があったし実績も出してたから、きっと覚えてくれてる子も多いんじゃないかと。そして、「あれ、チャールズじゃないか」って。(下の名前は生徒に教えてはいけないと決められていたので、チャールズということにしていた。)でももう20年近くも前のこと。当時、少4~中3だから、微妙かな。


でも全国放送はこれが2回目。1回目は以前も書いたが、あの池上さんの「週間こどもニュース」に、主役で。塾講師をやめてからまだ2年目だったから、あの時は、見て気づいてくれた子もいただろう。


原則として連絡先などは教えてはいけない決まりがあったので、教え子でその後音信が続いていたのは1人だけ。別人のようにきれいになって一度ここまで遊びにも来てくれた。彼女もすでに結婚したし、みんな今ごろ35~28。働き盛りで家庭をもっている子も多いんだろう。


思い返すたびに、いい経験をさせてもらったなあと。そして、若かった。

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