「街道をゆく モンゴル紀行」司馬遼太郎
「聖職の碑」新田次郎
「剣岳・点の記」新田次郎
すべて何年も前に買った本だ。後の2冊は1度読んでいる。
モンゴル紀行は28年前に買ったものだ。24歳でモンゴル登山に行く前に、予備知識として読んでおこうと思ったのだ。しかし結局読まずに行ってしまって、ようやく今さら読んだわけ。読みながら「読んで行けば良かった。どうして読まなかったのか。」と悔やむことしきり。
ちょっと大げさな例を出すと、探検の前にはありったけの情報を調べて頭に入れていくのが常識。新たな事実を発見するためには、すでにある情報くらいは頭に入れておかないと勝負にならない。ただの旅だって、予備知識のあるないでは見て触れるものの感じ方が変わる。「今」はあまり知っておくと感動の量に悪く作用することもあるが、「過去」や「歴史」というものは知っておいて絶対に損がない。
ちなみに月刊誌「岳人」(1996年6月号・創刊50周年特別号)に、「デルゲルハン峰」に私が登った時の紀行文が掲載されている。今となってはあまりにレトロ。まじか、メルカリで売ってるわ。
あと2冊も、これから行こうとする人はぜひ読んでから行くべきだ。「聖職の碑」は山登りをしない人にもぜひお勧め。前代未聞の中学生の大量遭難事故。もちろん実話。舞台は木曽駒ケ岳。ロープウェー使ってハイヒールでも行ける山。でもその前に一読を。
「剱岳」の舞台は富山県の越中剱岳。藪こぎに青春をかけた私にはあまりにヒット。剱岳に登る若者は大学の山岳部だって多くがかつての測量隊の苦労の史実を知らないことだろう。私も可能ならテントを背負って測量隊が彷徨したルートを3泊4日くらいでゆっくり辿ってみたい。でもそれが可能になる頃には足腰が立たんようになってるだろうし、まず無理なわけ。
たまたまか、それとも波動の巡り合わせか、紀行もの、登山ものを読んだのだけれど、これは旅へ、いや青春へのあこがれか。膝を痛めてから何かとできないことをやりたくなる。きっと何かが私を醸しているのだろうと、充実もあり特に不満のない日々にあって、こんな自分を傍観している。
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