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  • 執筆者の写真反田孝之

春からの田津地区の農地計画

にわかに寒い日が続き、設備の掃除や草取りマラソンなど、現場を進める気になれない。それで冬の間のミッションだった農地の整理について着手した。


洪水の多発を受けて、田津の農地をいくつかを返してしまう計画だ。先日書いた「79」圃場も含まれる。現状の6.7haを3分の1以下にまでにするつもりでいたけれど、考えているうちに欲が出てきてまずは3.5haまでにしておこうかと。減らすことはいつでもできる。


2012年にはこの田津だけで12haも借りていたというのに。地図に落としてみるとあまりに寂しい。


(上の橙色が2012年当時。この数年で徐々に減って、下の桃色が春からの予定。)



一応色をぬったところの大半は堤防からは外れそう。だがそれらも築堤後は水流を増した流れのためにどうなるか分かったものではない。堤防はこれから10年を目途に建設されるというから、今後の農地維持はその間の様子を見ながら考えねばならない。


以前ならゴボウ栽培の息の根を止める築堤については恨み節であった。しかし堤防ができようとできまいと近年の気候からは田津地区での農業経営はあまりに厳しいと予想せざる得ない。言い切ってしまうと、もうどうでもいいのである。


時代として俯瞰すれば、気候変動とは別に、上流の広島県側の三次盆地で町中に護岸整備が為された時点ですでにこの地はこういう運命をたどる可能性があったと言えるだろう。しかしそれを非難するのはあまりに現実的ではない。気候変動もそう。水牛の群れと化したこのコロナ騒動と同様、どうしようもないことなのだろう。

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