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次男の冒険が思い出されてならない

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

朝からひたすら耕うんの続き。ただ広い今田の田んぼをノイローゼにーなった犬のように延々と行ったり来たりの繰り返す。時折トラクターを止めて降り、転がっている大石を抱えて運転席の足元に積み込む。これがまだまだ延々と続く。我が選んだ人生とは何とも単調で味気ないものかな。


そんな今日、トラクターを運転しながら、先日次男が自宅から会社まで自転車に乗ってやってきたことがなぜかやたらと思い出される。7km離れた事務所を目指そうと思ったときの彼の好奇心と高揚感は如何ばかりであったろうと。補助輪が取れたばっかりで、新たにあてがわれた少し大きめの真新しい愛車のおかげで湧き上がってきた気持ちでもあったろう。まるで私が次男になり切ったかのように想像して、次男が愛おしくて仕方がない。彼にとっては、自分で決めリスクを背負い親に内緒で実行した「周囲が認知した」初めての冒険であった。


(以前私と2人で歩いた時のもの。この道を1人でどんな思いで走ったのか。)


私の人生は、そんな好奇心と高揚感を求めた冒険の連続であった。一歩踏み出した先にはどんな世界が広がっているのか。高校から家を出たことも、自転車の旅や山登りも、安定した家業を放り出して農業修行に出たことも、そして今の農業を始めたことも、みんなその延長、もっと言えば「ロマンチシズム」の体現であった。


それが今や土地(農地)に縛られ、生き物に振り回され、あまりに地味過ぎてロマンとの接点が皆無のようにも見える私の今の日々である。しかしお釈迦さんの言葉、「大志を抱き、日々同じことを繰り返すとき、悟る可能性がある。」


世の中をよくするために、自然栽培を通じて自然界の真理を知り、それを発信するというのが私の大志である。悟るかどうかはひとまず置いておいたとしても、このお釈迦さんの言葉を知ってしまった今、私には迷いがないし、この今の生き方自体にロマンチシズムを見出すことができる。


また偶然というのはあるもので、昼休憩に事務所へ帰ってきたと同時に、生前のお袋と親しくしてくれていたおばさんが立ち寄られて、この時の次男と街中で会った時のことを話された。びっくりして、今でも忘れられないのだと。そのことを一言私に伝えたかったらしい。あまりにタイムリーで私も驚いたことだ。

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