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  • 執筆者の写真反田孝之

気が沈んでいる

最近は更新が2~3日おきで定着してしまった感じ。気持ちが何か無性に疲れている。仕事に支障があるレベルではないけれど、息抜きであるこのブログを書くほどの気分では確実にない。


原因は先の友人の死。自分に照らし合わせて、残された旦さんの気持ちをしん酌すると胸が張り裂けそうになる。だから今まであまり考えてこなかったようなこと、例えばもし女房が死んでしまったら、などということを、最近はよく考えてしまう。悪いことではないのだろうが、ちょっと困ったものである。


今日から稲刈りを始めた。またこの偉大なルーティンが始まった。ただ今年は淡々と進めるだけでなく一つ頭に入れておきたいことがある。入院中の仲間の田んぼだ。なかなか刈り手がいない中で、品種が同じで販路が同じなんだから、その1haだけはできればうちで刈ってあげたい。しかし今や稲刈りばかりをやっているわけにはいかない状況である。実際には物理(時間)的に厳しい。さらにここに天気という大きな要素が入ってくる。だから、運が良ければできる、と見ている。


何事も精一杯やるだけのことだ。

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身内の不幸が続く。先月は女房の祖母、96歳。このたびは近所に住む私の叔父、81歳。ともに悪くなってからが早かった。 人が自宅ではなく病院で死ぬようになってから死は我々から遠い存在になった。現代ではその遠くなった死について、かろうじて考える機会を与えてくれるのが通夜の際の坊さんの説教だろうと思う。好き嫌いというとはばかられるが、このたびのお坊さんは地元中学で教鞭をとられていた方だから説教も分かりよく

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