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無性に雪山に行きたい

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2022年2月28日
  • 読了時間: 2分

底冷えする日々が続いていたのに、昨日から急に春。寒さでちょっと怠け気味だったけれど、こうなるとやらねばならん。


ちょっと前に、女房が息子のために「神々の山嶺」というマンガ本(全5巻)を買ってきた。当然私にも面白い。寒くて怠けているくせに、読んでいて久しぶりに無性に雪山に行きたくなってきた。ただし漫画本と違って私の場合はクライミングではない。私は岩はやらない。ワンダリングというか、面的移動の専門である。


以前書いた白神山地横断のように、ある地域を横断的に移動することに強い郷愁を抱くのだ。私にとっては子供の頃の原風景なのかもしれない。


最後の雪山はいつだったか。確か31歳のときか。友人らと3人(そのうちの1人は今や時の人だ)で越後駒ヶ岳に登った。ただこの時は残雪を踏みながらの程度。


それより前になるとたしかこの近くの八幡高原の八幡湿原から大佐山の頂上まで山スキーを履いて歩いた時か。当時26歳。これは友人らと4人で大佐山にスキーに行った時で、私だけ八幡湿原で降ろしてもらい、昼頃に大佐山山頂でスキーをしているみんなと合流したというもの。わずか3時間程度であった記憶があるが、ルートは中央分水嶺の一部でもあり、雪深い中の山スキーを利用しての縦走で満足のいくものだった。


すでに25年前か。私の歳(51)なら一線で山をやっている人はたくさんいる。でも俺はダメなんだな。膝をやっちゃったから。子らを連れて行く目的で両杖を突きながらの日帰り山行が関の山だ。


雪山は無理としても、せめてテントを背負っての山登りができればなと。4年前から長男とやっている都道府県最高峰巡りもそのうち日帰り登山がきつい山にも回ってくる。内心少しずつでも膝が快方に向かっていないかという期待を持ち続けている。しかし残念ながら今のところその兆候がない。

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