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  • 執筆者の写真反田孝之

牛尾さんのこと

牛尾さんと初めて会ったのは、以前活動していたNPO法人の事務所だったと思う。私が30代後半、彼が40代後半という、お互いまだ若い時だった。外資系企業を辞めて都会からIターンされ、田舎暮らしへの夢を​語る、ずいぶん生きのいい方だなあと思った記憶がある。


その後、まちづくりに関わって公民館長などの地域の大役をされる中で、実家の田んぼを継がれ、農業も始められた。勉強を兼ねて、うちの農作業を手伝いたいと言ってこられたのもこの頃だ。


以後、稲の育苗作業、田植えの補助、ゴボウの収穫、さといもの収穫などを手伝ってもらった。社会教育活動に誘っていただいて、小学校の特別授業に一緒に顔を出させてもらい、その謝金で飲んだりもした。当時困っていた今田農地の担い手に私が彼を薦め、農業を経営レベルで本格的に始められてからは、畔端や事務所で話をする機会が増えた。自然栽培の講習で千葉県まで一緒に行ったのはもう​13年近くも前になる。すべていい思い出である。


フィリピンに時々遊びに行っておられて、お土産をもらっていた。老後はフィリピンで暮らすんだと、本気か冗談かわからないことを言われていた矢先の2年前、突如がんの手術をするのだと告白された。やめる選択肢はないかと聞いたところ、その選択肢はないとのことで、それ以上は何も言えなかった。


入退院を繰り返しながら、​6ha物田んぼを管理されたこの2年間。昨秋の稲刈りが途中で出来なくなられて、そのまま入院。63歳という若さで先週亡くなられた。


来期はさすがに離農するということで、しゃべれなくなった彼のその相談を筆談やラインでずっと秋からやってきた。うちの来年の作付け増はこれを受けてのものだ。元旦のラインの何気ないやり取りが最後。良くないのかなとは思っていたが、まさかこんな早くにとは思っていなかった。


弟さんに伺うと、もう1年以上前から助からないと医者から言われていたらしい。どんな気持ちでこの間を過ごされたのか、過去のラインのやり取りを見て、あまりに切ない。


地域の大役も受けたままで逝かれてしまった。関係者は当面大変なことだろう。当然私にも関係がある。


今田の水路掃除をしながら、「10年後の体制を考えとかないといけないね。どうせ誰も考える能力ないじゃない。」と毒舌の彼と話していたのも虚しいことになった。実質1人では無理。これからは誰と考えればいいのだろうか。


(2011年8月)


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