top of page
  • 執筆者の写真反田孝之

田津からの撤退を決める


想定通りの洪水となった。この写真は畑だ。悠々と流れるこの川の底に畑が広がっている。4年で3度。もう経営が成り立たない。


それで田津からの撤退をいよいよ決心した。これまで心血を注いてきた田津の畑。先祖代々の地区でもある。自然栽培をする中で、ここの土が奇跡の土であることを知り、この土と人を繋げる奉仕者になるのだと心に決めてやってきた。そしてかつてのゴボウの一大産地復活を夢見て、今では6haに減らしているが、多い時には12haもの畑を管理してきた。


しかしついに、刃折れ矢尽きた。具体的にはあと3年くらい。まず春まきゴボウと大豆はやめる。栽培は秋まきゴボウに限定し、これも規模を縮小する。となると農地はわずか1haちょっとしかいらなくなる。残りは返し、4年後くらいには完全に撤退したい。


ゴボウは他の地区でさらに縮小して続けるつもり。きっと今までのようなゴボウにはならないだろう。


かなりくたびれたね。災害時でアクセス数が増えるから、どうしてコロチンが終わっているのかを説明したいと思っていたけど、もうどうでもいいや。世直しを諦める姿勢は、子供らには申し訳ないけど。

最新記事

すべて表示

いやーすごかった、WBC。不振だった村上の劇的さよなら二塁打。過去大会の同じく不振だったイチローの逆転打にあこがれて、って言うんだから、あまりにも作られた物語のようだ。ちょうど部活帰りで事務所へ戻ってきた長男とPCで観戦していた。ここで打ったら出来過ぎの物語だなあって。そしたらホントに打ったっていう。そして大谷、吉田、村上の3人で決めるってのもね。 家族がそろって大騒ぎだった事務所が私1人になり、

ほとんどの人には伝わらないだろうけど、私にとっては命がけの件。 この半月くらい、明けても暮れても暮れても考えていたことがあった。昨年から私の中で現実味を帯びている、田植えと大豆播種時期の入れ替えのことだ。5月中に田植え、それが終ったら大豆播種というのが従来の型。しかし大豆播種前後の雨のリスクがそれなりで、これまでに何度も難儀な思いをしてきた。それで例えば5月中に大豆を蒔き、6月に入ってから田植えを

bottom of page