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田津の畑を活かせぬ無念を常々思う

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

昨日、見ず知らずの方から電話が。「ゴボウを勧められて買って食べたら、あまりに美味しくて他のゴボウはもう食べられない」と。これまでにこういう電話や手紙は何度もあった。「美味しかったことをどうしても伝えたくて便りをしました」などと差出人の名前も書かずに手紙をわざわざ出すなんて、私にはまったく考えられないこと。他人事の様に、田津という地区の畑の素晴らしさを思う。


このゴボウも、今期も終わりに近づいた。出荷先と調整し、すでに終わったところも多い。みんなが一番欲しがる年末を目の前にして終わるのだ。減らした作付けを元に戻すつもりがない以上、来年以降さらに早く終わることはあっても遅くなることは絶対にない。なんという情けなさよ。


そして静かに進む田津地区の死へのカウントダウン。洪水の多発が引き金となり、堤防建設計画がダメ押しとなった。江の川両岸の堤防に挟まれてしまったら畑は今まで以上の水流に洗われることになって、今までの程度で済むなんて誰も思っていない。そして例えば20年後、堤防に守られた家屋にはほとんど人が住んでおらず、堤防の外にはうちも桑茶も撤退して遊休化した広大な雑木林が広がっている。そこではつい最近まで、日本一と称されるゴボウが育ち、奇跡の土と言われていたことは、誰によっていつまで語り継がれるのだろう。そして守るべきものを失った堤防の管理だけは未来永劫され続けるという滑稽さに、未来を生きる人たちは何を思うだろう。


そんなことを、時として関係者で囲んで語りあう。昨日は市の職員さんが「小役人である自分には何もできません」と悔やむ。仕方がない。もはや誰にも何もできやしない。政治家にだって無理だろう。一部の住民の感情から発した細い流れは、あっという間に周囲の流れと合流し、すでに大きな大河となってしまったのだ。この流れを変えることは誰にもできまい。


日本人もずっとバカではない(と信じたい)。いつか必ず、現代の諸問題へのバカげた対応が反省される時代が来る。それは物事を冷静に捉えることのできる今の若い世代らが台頭する時ではないか。その時に当地発のわずかに一つのネタとして田津の土地利用の過失は語られて欲しい。そこに貢献するためにも、私は可能な限り田津の土を活かしていかなければならない。


(整然と管理された在りし日の田津地区 2014年5月)


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