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田津農地との関わりを悩む

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年3月8日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年3月13日

ヤケ半分と、冷静さ半分で、いろいろ考えるここ数日。田津の築堤と今後のうちの営農に関することだ。


(昨日たてられた用地杭。農業遺産の87圃場の4割に食い込む。)

ヤケの部分は、このまま為されるままだけにしていると、最終的には田津は荒れ野原と化しそうだから、堤防ができたら地域はこんなになってしまうのかと、この選択があまりにも過ちだったと多くの人に自覚してもらうために、私はもうどんな田津地域への貢献を放り投げて手を引こう、人間は一度は過ちだったことを認めなければ、いつかまた同じような過ちを繰り返す、という考えからきている。


冷静な部分は、過ちを認めるべき人たちはそう遠くないうちにあの世へ召されるからいまいち甲斐がない、もはやこの虚しい大土木事業は、大筋では何をも覆っこないのだけれど、ちょっとした細かい変更によって結果が劇的に変わるということは世の中の常であって、そういう視点で今まで生きてきたのだから、このたびも地味に工夫の余地を考えていくべきだ、そしてその方が後の世代のためだという考えからきている。


当地の事情を知らずこれを読む人は、反田はどれだけ不遜なのかと思われるかもしれない。しかしながら、例えば田津の農地の(あるいはそれ以外のいくつかの)行く末は、現状からして9割方は私の考え方ひとつである。思い上がろうと何だろうと、これは現実なのだから仕方がない。何の権力的地位にもいない私などの1人の考えで、ぎりぎり繋がっていることがいくつかあるほど、すでに当地の行く末は細っているのである。


ヤケが半分以上顔をのぞかせたときには、帰宅して子供らと接するのが辛い。しかし冷静さが戻って来るときは、彼らの存在をありがたく思う。彼らがいなければ、たびたびの洪水によって密かに潜伏している虚無感が、またもや私を覆ってきて、何をも諦めてしまうかもしれない。


今日は長男の義務教育の卒業式。再来週は末娘の卒園式。子らが着実に成長する間に、私は地味でいいから、一つでも多くの可能性を未来に残していきたい。



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