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田舎の農地から日本を憂える

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2022年10月6日
  • 読了時間: 2分

例年この時期は、お米の数量確定のための色選掛けで追われている。しかし今年はあの春まきゴボウの収穫がないし、一昨年までのことを思えばサトイモもなくなったのだから、もっとゆとりがあるはず!と期待していたのに、蓋を開けると今年も追われている。いろんなことが少しずつ手がかかっているからに他ならない。


雨の前に田んぼの管理がセーフだったと喜んだ一昨日も、田んぼと関係のない大豆畑のアメリカセンダングサ切りを3人で、実は午前中いっぱいやっていた。これは洪水由来


そしてイノシシ被害関連に毎日1時間くらいかけている。見回り以外にもごちょごちょと内緒ごともある。これらだって、3年くらい前まではまったく必要のなかったことだ。これらは人口減少由来か。


これから地域の人口はさらに大幅に減る。すでに田津地区の遊休地管理の手間が手に負えなくなり始めているように、今までになかった手間が徐々に増えていくことだろう。体力は徐々に衰えていくというのに。ゆでガエルにならないよう、今のうちによっぽど考えておかねばならない。


こんな状況下にあって、地域の世話役の人が昨日やってきて、うちの経営規模を増やす心づもりをしておいて欲しいと言ってこられた。うちは今、度重なる洪水被害により経営の縮小実験を数年かけてやり始めたばかりである。しかし地域や社会の事情を無視して、自分の都合ばかりで生きて行けるほど田舎暮らしは楽ではない。この界隈で私にしかできないこと、というのが現実にあるのだから、そこだけは担っていかねばならないということをもうずいぶん前から覚悟しているので、世話役氏の言葉にも驚くことはなかった。


地域の沈没は日本の沈没。この沈没が時代の自然現象であるのならまだしも、戦争に負けたばかりに課されているペナルティであるなら、なんと情けなく悔しいことか。解熱剤を飲んですら大したことがなくなったただの鼻風邪にビビっている場合ではないんだが。「お上教」信者は統一教会の信者たちとどう違うというのか。すっかり食い物にされてしまってることを憂い、悔しさの持って行き場がない。あまりの悔しさに、ただ今を凌ぐだけではつまらない、もっと積極的にムーブを起こしたいという願望だけが高まってくる。


負けたくないね。

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