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  • 反田孝之

療養を機にいろいろ考えた

ちょうど2週間ぶりの更新になる。体調不良を契機に、寛解した後もどうにも書く気になれなかった。この間には「どうしたのか?」と心配の声もいただいた。気にしていただけるというのは素直に嬉しいものだ。ご心配なく。作業も淡々と進めている。


自然栽培の世界を知ってしまった以上、病気というものに対し特別な感情はない。ただ病気の時は、自分の価値観や世界観を見つめ直すにはもってこいかもしれない。


このたびは、毎年11月繁忙期の後に決まって体を壊すという目先の物理的な課題はもちろん、年間を通して社会からの要請にどう応えていくかということをメインに「自分の立ち位置」について新たに決意をしたところ。諸事情あり、ちょっと寂しいことを言うが、社会との関りを縮小させることにした。特に学校に関わる活動は1年間に限定してほぼ自粛するつもり。これについては「実は・・」と数年先にでも振り返ってみたい。


さあ、またいつものように話は飛んで、あと何年生きれるか(笑)。このたび確信したね。死は「2人称の死」だけが問題だとするなら、俺は5年後くらいから病気に悩みながら、15~20年後くらいに死ぬのが一番良さそうだって。それでみんな丸く収まりそう。我が子らもしゃんとするだろう。なんたって本人(俺)がすでにいつ死んでもいいって思ってるんだからね。周りも張り合いがないわな。


コロナ休校で嬉々として遊ぶ次男。大丈夫よ、お父さんは今はまだ死なん。


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この言葉が好きである。昨年くらいに本でこの表現に出会った。私が無意識のうちに取ろうとする姿勢がまさにこれ。いかに含蓄がなさそうに振る舞うか。修業時代に学び、憧れ、自然に培った感覚だ。 中身がないことの言い訳だろう、と思うのは自由だし、自然か。私もそう思われて一向に構わない。このことを分かるのは簡単ではないし、分かる必要もない。だからこそ修業は難しい。ついでに、パラドックスぽくてすでに含蓄があるじ

年末くらいからずっと、やたらと眠るようになった。まず夜は毎日9時間くらい寝ている(笑)。朝6時半に起きるというのがバス通学の子供らの日課だが、私が起きれないことで家族で寝坊、ということがあって困る。 そして休日の昼間にも3~4時間くらい寝てしまう。当然子供らから残念がられるし、冬の間にやっておきたい自宅周りのことも一向に手がつかず焦っている。 平時の日中はシャンとしているのが救いか。 例年のことだ

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