今月の初め頃にちょうど就農20年目になったというのに、今年はあちこちでそのことに触れてきたから、いざそれを迎えたときにはすっかり忘れてしまっていた。それで今ごろ書いている 。
さっき10年目の記事をアーカイブで見てみた。当時の課題や期待を手に取るように思い出した。この10年はどんな10年間だったかを一言で表すなら、兎にも角にも、最大の懸案だった機械更新が、生来の運の良さもあって上手くゆき、今後の経営継続の可能性が大きく高まったこと、ということに尽きるだろう。そのくらいこの問題は大きかった。というよりこのことは、中規模(と敢えていう)で多くの機械を使うスタイルで始めたと同時に必然として背負った、宿命的な命題であった。集中する1回目の機械更新が軒並み上手くいけば成功、上手くいかなければ失敗。私の農業人生はそう言い切っても良かったのである。
もちろんこれからも機械更新は進行形だ。先月田植え機を新調したし、何より今、大型冷蔵庫の難題に直面していて、これはJA時代からの30年を超える代物で、業者の感触がどうも宜しくない。数百万なんて言葉も聞こえたから、聞こえなかったふりをしている。
しかし、機械更新についてはもう何とかやっていけるのではないかと思っている。それよりも今は築堤だ。2度目の国交省との協議の場で、ようやくゴボウが栽培し続けられる感触をつかんだと思ったら、沖に小堤防を作れという地域の声があると担当者が言われるのでビックリ。まさかそんな戯言が採用されることはないだろうが、築堤に関しては、まだ何がどうなるのか、油断がならない。
さあ、30周年はどうなっていることだろう。そもそも私は生きているのか。今の私の、支えを失ったような精神状態(病は気から)と、昨年亡くなった牛尾さんのことを思えば、決して杞憂とは言えない。
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