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続・山水管理の事情

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2023年3月7日
  • 読了時間: 2分

先ほどTさんが、景品でもらったとお菓子をたくさん持って来てくれた。また他の方から感謝の電話もあった。こうやって気遣ってくれるというのは、ありがたいことだし、悪い気はしない。ただこういう気兼ねは一切必要ないのだ、と事あるごとに皆さんには説明させてもらっている。理由はこうだ。


以前、山水管理の人手がいよいよ減った時に話し合いを持った。その時の管理責任者の方が提案されるには、「これからは作業に出れない人は月々500円を供出することにしよう」と。一方である方が、「これまで山水を守ってきたんだから供出はおかしいんじゃないか」と。場はこの2つの意見で割れた。そこで私がこう提案した。


「我が家は上水道を切って山水だけで生活している。いわば山水は我が家の生命線でこれがないと生活ができない。一方で皆さんは山水がなくても困らない。上水道にプラスして洗車したり、庭に使うだけのことだ。我が家のように何が何でも使わなければ困るという者と、そこを流れているならちょっと使わせてほしいという者が同じように普請を負わなければならないというのはおかしいのではないか。さらに、皆が使ってもなお余るほど水量は豊富だ。だとすれば、何が何でも使いたい人が頑張ってやるべきで、あとの人はできる時に手伝うだけでいいのではないか。


何が何でも困る家はとは、つまり我が家のみ(笑)。そうか、反田がやってくれるのか!というノリですべて丸く収まることになった。


その後、高齢だった前管理責任者から私があとを引き継ぎ、ずっと補修作業と、時によっては水源の定例掃除を一手に引き受けてきた。このことにまったく不満はない。なにしろこの山水がないと生きて行けないのだ。不満の湧きようがない。


また付け足すなら、元気な世代で平日の日中に自由に時間が使えるのは私のみだ。また土方的なセンスや器用さが必要で、元気であれば誰でもいいというわけではない。どのみち私がやるしかないということである。



(2022年3月。崖のような急傾斜で黒パイの破裂箇所の補修。この時は集落外に住む親父が手伝ってくれた。)



(2016年4月。この時は古いパイプとの径が合わず難儀をした。)


では、もし仮に我が家が山水を使わなくなったらどうするか。それは当然管理はやめることになるだろう。一切ノータッチ。逆に言うと、それだけ負担は大きいのだ。今の現状を冷静に言えば、「消毒されていない自然の水を手に入れたいがために目を吊り上げて頑張っている」ということになるだろう。おかげで日々、丸みのある水でお茶を沸かし、カルキ臭のしない天然水の風呂に浸かることができる。なんとも極楽である。

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