経営を行う以上、今は掲載はしていないが、うちにも経営理念というものはある。
その一つに「美味しい農産物をつくる気がない」ということがある。かつて美味しいお米や野菜を作ろうと考えるあまりに迷走してしまった経験があるからだ。
自然栽培に出会い、実践する中で、多くの考え方や価値観というものが変わってしまったけれど、美味しい農産物を敢えて狙わないということも大きな転換であった。
美味しいという感覚はあまりにあやふやだ。人工物である加工品に限らず、それは農産物の場合でも例外ではない。そのあやふやなものを追究する中で、いつのまにかあまりに不自然な行為に流されていくことがあった。そしてその不自然さに、それ是正しようとする不自然な行為が重なり、一度軌道を外すとどこをどうすれば元に戻るのかがすっかり分からなくなってしまうという悪循環に陥るのである。
そこで美味しいものの追求をやめた。目指すのは、なるべく自然に即した栽培。つまり不自然な行為をなるべく排除する。そのときの「不自然さ」というものは自分の頭で考えるのではなく、自然の声、菌の声を聞いて判断する。一番わかり安いのが腐りにくい農産物をつくろうとすること。
そういう管理をしていってできた農産物が、はたして美味しくなるのか美味しくなくなるのかは分からない。分からないんだけど、それでいいと考える。栄養価という概念もそうである。栄養価があるのか、ないのか、分からない。でもあってもなくても、それでいいと考える。
その結果、今のところ幸運なことに、美味しさの評価は上がっていっている。もちろん全然美味しくない!という感想もいただいてきた。しかし味というのあやふやなものだ。仕方がないと割り切る。
そして栄養価については今や興味がない。ここは大事なところだが、農産物中の栄養価というのは世の中の「あってもいいしなくてもいい」ものの中の象徴的な存在であると思う。だから計測したこともないし計測しようとも思わない。
だから今のところこの考え方でいいと思っている。
もし多くの人に美味しいと思ってもらえなくなったらどうするか。そんなことを考えたこともある。でもその時はその時だろう。まずは人間の進化の過程と、人間と自然の関係を信じている。
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