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自然栽培と資源循環型栽培とは相いれないわけではない

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年12月9日
  • 読了時間: 1分

圃場に何も入れない自然栽培は、身近な資源を循環させる農法と相容れない、と勝手に思いこんでいる人は結構多い。肉を食べている癖にその動物の糞の処理を無視する気かとか、家庭で発生する生ごみを畑に入れないのはけしからんとか、これまでにはいろいろ言われてきた。


しかし私はそういう循環についてはまったく否定しない。ただし定性、定量は守った上でのこと。


例えば、外国から来る飼料で育った家畜の糞を、目の前の狭い田畑に入れるというの質・量ともに前提がおかしいし、家庭ごみで作ったたい肥は、漉き込まずに表面にばらまくなどすればまったく問題ない。ぜひやるべきだ。どちらの場合も、前提を無視して効果(肥効)を求めるからおかしなことになるのであって、効果(作用)がなければ反作用もないので、自然は安定した状態を保つ。


有機栽培(無農薬無化学肥料栽培)信奉者は、自分の正しさを信じたいばかりに他と敵対したがる、と言ったのは誰だったか。いわゆるコテコテの左翼の人と同じ構図らしい。


信じる人を決して批判したり否定したりはしないから、一度自然栽培の世界をのぞいてみてもらいたいと思う。


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