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自然栽培の可能性にワクワクしている

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2022年4月15日
  • 読了時間: 2分

今日は眠い。ちょっと前から有志でいろいろ企んでいることがあって、昨夜それで飲んでいたため。このたびはいい方向に進みそう。どころか、素晴らしい取り組みになりそうである。


大雑把に言うと、自然栽培もフルに活用した町おこしの取り組み。町おこしを越えて、世直し。そう言いたくなるような取り組み。久しぶりにワクワクしている。1年以内には世間にお披露目される流れとなるだろう。


当然ながら、自然栽培と出会ってから私が勝手に目指してきた方向に合致する。自然栽培が普及することが、この地域を、この国を変えるという信念を抱いて地味にいろいろ仕掛けてきた。初めはあまりにも孤独な取り組み。しかし自分が気が付かないところで種が芽を出し、いつの間にか心強い理解者が増えていた。苦節何年、か。地味に感慨無量。


「よくぞこの地域にいてくれた」とはこれまでにいろいろな人から言われてきたこと。言われるたびに、嬉しくはあるがいまいちピンとこなかった。しかし自然栽培の理解者の人たちに対し、私もまったく同様のセリフをつい言いたくなるから、今ではこの思いがよく分かる。


もちろん、まだこれから始まるという段階。それでももう思い残すことはないなと(笑)。後はきっと、例えば私が明日死んだとしても、停滞はそれなりにあっても火が消えることはないだろうと確信できる。つまりこれからはそれだけ私は私の役割に没頭できる。後は皆さんが痛快に盛り上げてくれるはず。


私の役割。自分で言うのもなんだが、仕方がない、ここは大きいと言わざるを得ない。自然栽培で10ha規模の経営。そしてその農産物を多くの人の目に触れさせること。地味にここ。ここは土台。そして長じて生産者の仲間づくり。


昨年の洪水後はどん底だった。それ以前も振り返れば、これまでには実に多くの辛酸を舐めてきた。そのせいか少々くたびれ気味でもある。しかし甲斐はあった。20年前に出会ったお寺の奥さんに諭された言葉、「人生は苦しみの連続。楽しいことがあればそれは奇跡。」を常に胸に刻んでいる。さて、私は私のこれまでのような生き様を続けて行こう。どうせそれ以外の方法を知らないのだから。

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