top of page
  • 反田孝之

色選掛けで体調を回復していく

本線で唯一残った大豆の調整作業。舞台は色選掛けに移った。10分おきくらいに機械が鳴るので、その時に袋を付け替えに行く。朝から夕方まで休みなく動かし続けるので、気持ちは拘束されているような感じ。でも体が「解放」されたようで嬉しい。


(今年も大粒で色選掛けが必要なロットあり)


と、少しウキウキしながら昨日の夕方遅くから始めたところ、これを書く昼過ぎ、一向に楽でない。頭はくらくらするし、微妙に息が苦しい。そして酷いのが腰。30キロ袋を相変わらず担ぐわけだから当たり前か。さらにロットの切り替えのときに荷受けホッパーに空ける作業はもううんざりだ。満量音にせかされデスクから機械まで歩く1,2,3・・・28歩が何とも辛く、いつものこの空間がもはや修験者の道と化している。ああ、また鳴った・・行かねば。



それでももし、機械が鳴る間の時間を好きなこと、例えば将棋の棋譜を見るとか、楽しい動画や映画を見るとかに使うのであれば、この作業はもっと違ったものになるはずである。しかしそうはいかない。デスクワークが溜まりに溜まっているのだ。久しぶりに机の上の整理整頓してみたところ、出るわ出るわ、要対応のものが。今は市へ提出する「作付面積意向調査書」の作成の真っ最中。締め切りが書いてない。でも10月14日付になっている(笑)。色選掛けは数日かかるはずだから、少しでも多くをこの間に進めたい。


今日は辛くても、明日、あさって、とこのリズムで色選掛けを続けて行けば、それなりに体力は回復するはず。パフォーマンスがすべての人生だ、我々職人は、仕事を進めながら体調を整えていける、そういう人種に自分自身を作り替えている(はず・笑)。今日はまだ12月になったばかりとはいえ、積雪までの勝負。年によっては怖い。妥協なく進めていく。

最新記事

すべて表示

この言葉が好きである。昨年くらいに本でこの表現に出会った。私が無意識のうちに取ろうとする姿勢がまさにこれ。いかに含蓄がなさそうに振る舞うか。修業時代に学び、憧れ、自然に培った感覚だ。 中身がないことの言い訳だろう、と思うのは自由だし、自然か。私もそう思われて一向に構わない。このことを分かるのは簡単ではないし、分かる必要もない。だからこそ修業は難しい。ついでに、パラドックスぽくてすでに含蓄があるじ

bottom of page