top of page
  • 執筆者の写真反田孝之

苦悶の姿を見せること

一昨日、あまりに天気がいいし、土曜日だし、子供が海に行きたいって言うし、ま、いいだろうと思って出かけてみたわけよ。そしたら気分が悪くなって、運転してない間は車の中でずっと寝てて、昼に家に帰ってからはただただ気分が悪くてずっとコタツに入ってくたばるハメに。


翌、日曜はやるぞーっと気合を入れていたのに、朝、まったく動けん・・。誰か引き留めてくれないかなーと思っていたら、次男が「やすんだら」。じゃあしょうがねえなあ、って(笑)。


外食でもしよう!と盛り上がるみんなに断って、1人コタツで寝続けた。そのうち、腰、膝、首、あちこちの関節が痛くなってきて苦悶。こうやっていつ以来かの休日が過ぎ去った。


色選掛けもそれなりに進んで、ついにこの繁忙期のゴールが見えてきた。まだ12月に入ったばかりだから、確率的には山の上への納品の機会は十分にあるから何も無理をすることはないのである。でも十に一つを考えれば妥協せずにやっておいた方がいい。十に一つくらいの事って経営的にはあまりに普通。


将来のことを思うと、子供にはあまり苦悶の姿を見せたくない。しかし私は根が正直なだけに(笑)、なかなか器用に立ち回れない。でも常日頃から、私の誇りは子供らに伝えているつもりだから、これはこれでいいのではないかとも思っている。


私は子供の頃に親父が、学生の頃に恩師が、それぞれ苦労する姿を、親父のは無意識として、恩師のは意識として、それぞれ見てきた。おかげで苦労のハードルが人よりはるかに低いだろうと思っている。このことにはまったく感謝しかない。そしてこの感謝について悔やまれるできごとが最近あった。

最新記事

すべて表示

今日は末っ子が楽しみにしていた保育園の親子遠足。なのに出発してしばらくして女房から、娘が腹痛のため戻ると電話が。これまでにないくらいに痛がったらしい。​送ってくれた先生と女房の話では盲腸の疑いがないかという。急いで病院へ連れて行った。 結果は原因不明。盲腸でなくて良かったのと、原因不明でまたこれから思いやられそうなのと、思いが交錯。事務所で昼飯を食う今、痛みは少し落ち着いたらしく、目の前でパソコン

身内の不幸が続く。先月は女房の祖母、96歳。このたびは近所に住む私の叔父、81歳。ともに悪くなってからが早かった。 人が自宅ではなく病院で死ぬようになってから死は我々から遠い存在になった。現代ではその遠くなった死について、かろうじて考える機会を与えてくれるのが通夜の際の坊さんの説教だろうと思う。好き嫌いというとはばかられるが、このたびのお坊さんは地元中学で教鞭をとられていた方だから説教も分かりよく

bottom of page