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執筆者の写真反田孝之

農薬自体が問題なのではなく、生命力のなさが問題なのだ

もう10年以上、自然栽培および自然栽培的な考え方の普及に関わってきて、なかなか越えられない壁が、「無農薬・無化学肥料」という表現との混同かなと思う。つまりは主流派の有機栽培との混同。「そうじゃないんだ、有機肥料すら使わないんだ」と説明すれば、その時にはその価値を理解し納得できても、しばらくするとその意義がわからなくなる、というより忘れてしまう。 それで私なりに徹底して伝えてきたことがあって、それは農薬が使われて育った野菜を食べることの問題点は、「その農薬が体に悪いというよりも、その農薬を使わなかったらきっとここに存在しなかったであろう生命力の弱いものを食べること」だと。人類の歴史で、決して生命力の弱いものが口に入ることはなかった。生命力の弱い野菜は畑で駆逐され、何とか収穫されても台所で腐り、天然菌のみでは味噌醤油などの発酵食品にもなり得なかった。それが現代では、畑では農薬や防虫ネットなど、収穫後は冷蔵庫、発酵食品は人工培養菌で無理やり発酵。人類の歴史と共に長くあった生命力のあるものしか口に入らないという「食のセーフティーネット」ともいえる仕組みが現代ではすっかり消滅してしまっているのだと。 へ~と感心される。いい話を聞いたと感謝される。しかし多くの人はしばらくすると元に戻る。また「無農薬・無化学肥料」だといって喜んでいる。それはやっぱり無農薬という行為の価値の理解が間違っているからだと思わざるを得ない。「農薬自体が問題なのではなく、生命力のなさが問題なのだ」ということを、もっともっと伝えるべきだろうと思う。 もちろん今言ったことは、(一般的に健康な大多数の)人間の健康という面に限ってのことで、過敏な人または環境について考えると農薬自体の危険性ということはある。それを知らずに主張しているわけではない。 そして普及のハードルのもう一つ大きなことは、これは当然のことなのだが自然栽培は大変だということである。ここは我々生産者がもっと研鑽する必要がある。収量は平均すると確実に減る、しかし長い目で見て経営状況や満足度がトータルで上がる、という取り組みを実践することが大事。これは実は家庭菜園なら容易だ。どころか家庭菜園なら収量アップも簡単でいいことづくめ、というのが内藤さんがやってくれている講座の最大の価値であり尊さである。 ここ最近立て続くイベントを経過して改めて考えたことを書いてみた。ロマンチストはリアリストでなければならない。「非主流派」の立ち位置ながら堂々と、そして総論と各論で、ねちねちとやっていく。

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