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  • 執筆者の写真反田孝之

追われる忙しさの花

覚悟をしていたというよりも、どうせそうだろうと思っていたことなんだが、今がまだ相変わらず忙しい。山陰の冬にあって、こんなに天気の良い、子供らをどこかへ連れていくには絶好の日曜日に、こうやって事務所へ出て仕事をしている。忙しいというだけでは伝わらない、忙しいのは誰だってそうだろうから、ここで言うのは、追われているということである。


追われようが追われまいが忙しいのは同じだろうと思う人は、日ごろから追われることが少ない人であろう。追われる忙しさというのは、自分の意思を差し挟む余地がない上に充実感というものをあまり伴わないから、それがずっと続くと明らかに滅入ってくる。私の場合は一年のうちで追われていることの方が圧倒的に多い今の農業人生だから、もうこれが四六時中、滅入ってばかりということになる。


じゃあ私は不幸だということになるであろうか。しかし私に言わせると、滅入ってばかりだから不幸だと安易に決め込むところの思考回路の方が問題である。人間はいろいろで、滅入る、辛い、苦しいという状態に生きがいを見出す人が、案外多くはあるまいか。


「追われる」というのは、見方を変えれば「求められる」ということでもある。それが人でなくとも、作物とか草とかであっても、何かに求めてもらえるうちが人生の花だとすれば、私の人生は今花盛りということになる。実にめでたいではないか。


(1回目草取りマラソン進捗率:51%)


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