top of page

追われる忙しさの花

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年1月14日
  • 読了時間: 2分

覚悟をしていたというよりも、どうせそうだろうと思っていたことなんだが、今がまだ相変わらず忙しい。山陰の冬にあって、こんなに天気の良い、子供らをどこかへ連れていくには絶好の日曜日に、こうやって事務所へ出て仕事をしている。忙しいというだけでは伝わらない、忙しいのは誰だってそうだろうから、ここで言うのは、追われているということである。


追われようが追われまいが忙しいのは同じだろうと思う人は、日ごろから追われることが少ない人であろう。追われる忙しさというのは、自分の意思を差し挟む余地がない上に充実感というものをあまり伴わないから、それがずっと続くと明らかに滅入ってくる。私の場合は一年のうちで追われていることの方が圧倒的に多い今の農業人生だから、もうこれが四六時中、滅入ってばかりということになる。


じゃあ私は不幸だということになるであろうか。しかし私に言わせると、滅入ってばかりだから不幸だと安易に決め込むところの思考回路の方が問題である。人間はいろいろで、滅入る、辛い、苦しいという状態に生きがいを見出す人が、案外多くはあるまいか。


「追われる」というのは、見方を変えれば「求められる」ということでもある。それが人でなくとも、作物とか草とかであっても、何かに求めてもらえるうちが人生の花だとすれば、私の人生は今花盛りということになる。実にめでたいではないか。


(1回目草取りマラソン進捗率:51%)

ree

最新記事

すべて表示
自然栽培実践者としてのプライド

一昨日、ようやくお米の色選がけが終わり、数量も確定し、お米の販売先への割り振りもほぼ決まった。大きな区切りが一つついたのだから気分は幾分晴れやか。いつもならここでコルトゥラーダのワインを開けて打ち上げと行くし、ちょっと前までその気満々だったのに、すでに11月繁忙期が始まり、段取りはぐちゃぐちゃ、頭の中ぐちゃぐちゃ、体もぐちゃぐちゃで、さすがにその気分ではなくなった。 今年はお米が豊作と何度も書いて

 
 
 
どうして農業をやっているのか

今日の午後、ついに休んだ。もちろん本線作業は満載。でもそろそろ潮時かなと。 で家に帰って2時間ほど爆睡したあと、次男用に買った漫画、「ザッケン」が目に留まる。高校の雑草研究会なるサークルの物語(全四巻)。ちなみにこの漫画の「監修」となっている中尾佳喜くんはかつてうちで研修していて、今でもゴボウの収穫の季節には手伝いに来てくれている。 これを読みながら、そういえば自分も小学生の時は雑草に興味があった

 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。
    bottom of page