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  • 執筆者の写真反田孝之

高校生(若者)に何を伝えるか

今月の始めに江津高校生と交わる機会をいただいた。若者のこれからのキャリア形成のヒントを提供する役回りの1人としてだ。コーディネート役はよく知った「てごねっと」の方々。時間も限られている上に主催者側としては形にしないとならないわけだから限界はある。その中でよく練られていて、いつものように感心したことだ。

(口枷姿を子供らに普通と見られて悔しい。)

若者に何かを伝えようと思うとき、自分の人生以上のことはなかなか難しい。だから価値観というか世界観というか、それは自ずと自分の経験値の範囲を出ないものとなる。そして伝えたいものが彼ら彼女らにとって有効なインプットになり得るかどうかが悩ましい。Y=aXという一次方程式に当てはめるなら、aという係数はプラスでもマイナスでもいいからなるべく絶対値が大きくなるようなものがいい。その大きさは伝えられる側の事情で変わるものだから、つまりは相手の立場をそれなりに予想して対峙する必要性がある。


とちょっと理屈っぽく言ってみたが、冷静に考えれば別に殊勝なことを言っているわけではない。普段の生活のなかで人同士のコミュニケーションとはすでにそういうものだ。


そして私の悩みは、そう考えれば考えるほど伝える内容が「きれいごと」になるような気がすること。私の子供~若者時代を振り返ってみて、「自分らしく」「大切にしたいこと」「ぶれない軸を持つ」などのきれいごとの説教ほど役に立たなかったと思う。そういうことは言いたくない。


影響された言葉や考え方、価値観というものはいろいろある。そしてそれらはすべて日常の何気ないシーンで出会ったものだったように思える。特に衝撃を受けた類のものはその最たるものだ。そして私の今の人生の満足はその衝撃級の価値観が形づくったということを確信する。


こうやって考えていると、私が我が子を含めて若者に伝えるべきは、そういう「衝撃の価値観との出会い方」という結論になる。ちょうど私がしている努力が、経営をよくするための努力ではなく、経営をよくする「運」を掴む努力だということと似ている。


我が子らとなら普段の生活の中で自然に伝えることはできる。だが、時間の限られたこういうイベントではどうだろう。ということを今までも考えてきて、そのつもりでやったこともあった。実は今回も状況次第ではそのつもりだった。でも生徒らの反応があまりに想像と違っていて短時間で上手く修正できなかった。なかなか難しい。


人生で何に諦めたとしても、若者や子供との接し方はこれからも考えていきたい。恩送りだ。多くの「大人」に恩がある。

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