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79の最後を噛み締める

執筆者の写真: 反田孝之反田孝之

昨日、津和野を飾ったゴボウが特別旨いやつだと書いた。最後にどうしても書いておきたい。これが以前も書いた洪水で生き残ったやつだ。そして就農以来ずっと戦ってきてついに終止符を打つことにした最後の春まきゴボウである。


これを栽培した圃場名は「79」といい面積は25a。2005年から4年間は大麦若葉を主に栽培。2009年に自然栽培を開始してから、間に緑肥をはさみながら3年おきくらいにゴボウを栽培した。ただし主力の秋蒔き型には東西方向に長さが足りない。仕方なく難しい春まき型でである。


まず2009年に1回目作付け。しかしこれは発芽直後の大雨で畝が崩され根元が洗われたため漉き込んだ。


2回目は2010年。これまで降った肥料がそれなりに残っていると思われる中で、痛快な生育となった。しかし7月に洪水の洗礼に遭い、1300㎏は上げるもののこのたびの様に黒ずみや腐れが多発。


3回目は2013年。しかしまたもや洪水の洗礼。収穫は190㎏とほぼないに等しかった。


4回目は2016年。この時は洪水には遭わなかったが、春まきによくある根腐れのような整理障害に見舞われ、かろうじて免れたところも太くならない。結果わずかに70㎏の収穫に終わった。


5回目、4年間で7回の緑肥栽培を経て満を持して2021年に作付け。そして順調。その様子は前にも掲載した。


(洪水前日の79の様子)


豊作の予感。しかしこの度の洪水。


(洪水翌日)


収量は900㎏あまりで、収穫したものも2010年と同様に黒ずみや腐れが多く、ほぼ販売には適さないものだった。いつかは育つと信じてこの畑にかじりついてきたものの、多発する洪水でもう未来は見えない。これをもってこの畑での栽培を終えることにした。


・・こうやって書いてみると、あまりにも甲斐がなかった。大麦若葉以降、14回の緑肥をはさんでやった5回のゴボウ栽培。経営的に考えればここで私はお金を捨て続けてきたようなものだ。こんな圃場は他にない。


10月に収穫してから冷蔵庫に眠る、出荷に値しないゴボウたちをどうするか。もう全量捨ててしまおうと考えた。しかし先月食べてみたところ、これが何とも味が乗って美味いのだ!うちのゴボウは大概美味いが、その中でも群を抜いて美味い!私は売りようがないのだからとそれでも捨てようとしたが、女房が知人らに声をかけ訳ありとして安くFBでアナウンスしたところ、あっという間に販売可能な200㎏あまりがすべて売れることになった。そのうちの4分の1が津和野に流れたというわけである。


(写真は無断転載)


この美味いゴボウ料理に舌鼓を打ちながら、私はこれまでの13年の甲斐のなさを嚙み締めた。そしてこのゴボウを最後に79の畑はおそらく農地としての歴史を閉じるのだ。この感慨がわかってもらえるだろうか。


またその料理を作ってくれたのが「some more」の店主國方あやさんで良かった。おかげで79への申し訳なさとこの農地を活かしきれなかった悔恨の情は消え、私の心は安らかである。

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