反田孝之2020年11月13日読了時間: 1分母の命日娘が産まれた翌月だった。 丸3年。もうそんなに経つかと。夕方トンネル立て終わって、家族で墓参り。私は畑から直行。もう真っ暗。こんな慌ただしい時期だったから、それで余計に悔やんだ。悔やみながらもジッとこらえて、淡々と仕事を進めた。商売人としての自負のあった母の後押しも感じた。あの時もそうだったように、これからも、何があっても、私はこうやって生きていく。明日は緑肥の種を蒔く。生き方
娘が産まれた翌月だった。 丸3年。もうそんなに経つかと。夕方トンネル立て終わって、家族で墓参り。私は畑から直行。もう真っ暗。こんな慌ただしい時期だったから、それで余計に悔やんだ。悔やみながらもジッとこらえて、淡々と仕事を進めた。商売人としての自負のあった母の後押しも感じた。あの時もそうだったように、これからも、何があっても、私はこうやって生きていく。明日は緑肥の種を蒔く。
節目のない生活今日が新生活のスタートになる人は世間には多いことだろう。我が子下2人もそう。朝はそれなりに賑やかだった。もちろん私自身にはまったく関係がない。子供がいなければ、今日が年度初めだということすらきっと忘れているはず。 4月1日と言えば思い出すことがある。大学を卒業した直後の春、私は残雪の八ヶ岳に単独で出かけた。海外登山を目指したトレーニング目的であった。その2日目に岩場で腰を下ろし休憩している時に、
「わかってないなあ」と他人に対し思うことが誰でもあると思う。それで確実に言えること。それは、こう思ったときは大体自分が一番わかっていない。 これは言葉遊びでも何でもなく、真理だ。だからこのことを理解しているかいないかで振る舞いも変わってくる。 どちらがいいかは微妙。わかってないなあ!と粋がって生きていくのも一つだし、一番わかってないのは俺か、と少し引いて生きていくのも一つ。私の持論である「どちらでもいい」の典型。これ