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明後日に予定している一発目の大豆の検査を前に、何だかんだと忙しくしていたところ、先ほど電話がかかってきて、検査員さんがインフルにかかったため検査ができるかが微妙とのこと。その場合は年明け2週目になって、卸先への納品が怪しくなる。まじか~、そうよな~、こういうことがあるわな~と。


昨年からすぐ隣のJA倉庫で検査が受けれることになっているので、今年はあらかじめそのつもりでいて、今までの納品のタイトさから解放されて少しゆっくり進めてきた。しかしあまりギリギリ段取りを組んでは怪しいということだ。少なくとも一車分はもっと早めに納品してそこで検査を受けた方が良い。来年はなるべくその線で組み立てたい。


しかし問題は、その時にそう思えるかどうか。その頃って疲れのピークだからね。実は今年だって少しは考えたんよ。でもつい先送り。だから来年の戒めのために今この時にこうやって悔やみをここに残しているわけ。


そうであるなら、このブログのアーカイブをちゃんと更新せんとならん。アーカイブでないとまず過去のやつ見んからね。更新が滞っているのは記事の転載がなぜかスムーズに出来なくなったから。経営上の課題等はもちろん別の場所に残してあるんだけど、ブログの過去記事って参考になって、ニュアンスから膨らんでそれなりに情報量が多いんよな。

  • 執筆者の写真反田孝之

この時期恒例の、田津地区の「中山間地域等直接支払制度」の事務作業を始めている。もう一つ田津地区で受けている「多面的機能支払交付金」とお金の動きがセットだから、合わせて取りまとめなければならない。


合わせて約140万円のお金を作業別、または田津地区の29人の構成員(耕作者)別に分配し、その根拠書類を作る作業。なかなか骨が折れる。がまあ、1日半あれば終わる。


しかし、大豆の調整作業も早く終えなければならない、草取りマラソンにも早く合流しなければならない、という中ではやはり痺れる。人間ゆとりがあるかないかで、同じことをするにもマインドがまったく違ってくる。しかも堤防ができることになって農地は死に体の運命にあり、この役回りにまったく意義が感じられなくなったからなおさらだ。


それでも事務作業はまだいい。何度も書いてきたように現場での作業負担が並大抵でない。それを思うと、中山間は来年まで、多面は再来年までで期の節目が来るから、そこで止めてしまうのも手。私がやらなければまず誰もやらない(できない)だろうから、田津は荒れるだけ荒れることになる。


密林化していた田津の遊休地を解消して往時の景観が戻ってから来年でちょうど20年になる。ちょうどよい節目かも知れない。田津地区は私のやる気と共に再生し、私のやる気の喪失とともに終焉するということだ。一時は「奇跡の土」を活かすべく「田津の星」を目指した私だが、すでに私にはどうにもできない。

  • 執筆者の写真反田孝之

魔法の杖はない。しかし、杖は杖として役に立つ。

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