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  • 執筆者の写真反田孝之

一流の定義っていろいろあるだろうけど、漠然というなら、凄い人から「凄い!」と言われること、というのがあるだろう。


凄いと言われることがよくある。でも言ってくれる人って、ほとんどが素人。そりゃ私のやってることなんて、素人から見れば何でも凄いだろうよ。


一方で、私が凄いと思っている人から凄いと言われることが稀にある。こういう時は、頭の遥か上の方から鳥瞰する。私がいて、隣にいる誰からかに凄いと言われている。のどかな風景ではないか・・。


経験的には、そこで喜ぶ方があとあといろんなことで上手くいく。でもしょうがない。どうもそんな気が起きないから。一流ともてはやしてどうにかなる社会でもないだろうし。 一流かどうかというより、①目の前の上手くいかないことをどうするかとか、②もっと世の中の大きなことの方に興味がある。興味の順序は②→①。でも現実は①→②。①が上手くいけば②はわりあい自ずと導かれるはず。

  • 執筆者の写真反田孝之

いつまで続くかわからなかった長いトンネだったが、どうやら抜けた感じ。次男の痛みがここ2日間はすっかり治まっている。


病は気から、とありきたりに使う以上にこの言葉の意味は深く、まさに人間の奥底を知った気がする。体の中に潜む虫。彼の症状の原因は初期と中期以降は明らかに違っていた。そのことに気づいたのは、彼がどうかすれば私を求めることの違和感から。大山登山で確信。じゃあどうするんだと、長期を覚悟し少しずつ言って聞かせる(彼の頭にではなく体に)しかないのかと思い詰めていたところに、「姿を消してくれ」と女房からの提案。なるほどこの手があったかと。自分自身では気が付かなかった(笑)。そしてこれが上手くいった。


私は事務所で泊まり、ちょうど溜まっていた米の調整作業が、夜遅くまで、そして早朝から進む。今晩もそうするつもり。割り切れて都合がよい。いろいろ取り戻すのだ。


辛い日々ではあったが、夜や早朝の散歩と山登りなどの次男とのこの2週間はとても濃いものだった。彼にとっても、特に由布岳や大山という展望のある名山に登れたことは、これまでになかったような満足を得られたことであったろう。(ちなみに彼が行きたがったのであって、私が誘ったのではない。)特に由布岳の鎖場は、彼にとって主体的成功体験という何にも代えがたい貴重な機会になったのではないか。



この症状は2年前からのものだ。またそのうちに出てくることだろう。しかし私らが学び続ける限り、何とかなるのではないかと思っている。

  • 執筆者の写真反田孝之

久しぶりの更新。書く暇ができたんではない。疲れて休みたいだけ。 次男の症状が今日でもう18日目。付き添って寝不足の日々、その上でここ最近の山登り(笑)はそろそろこちらも限界に近い。それでも毎日が容赦なくやってくる。 まあ当の息子を思えば、また千日回峰行を思えば、私の辛さなど大したことではない。そして付き合う中で得られた気づきもある。早くの快方を信じてどこまでも向き合うつもりである。





































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