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リテラシーを鍛えよう

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2020年10月19日
  • 読了時間: 2分

私のコロナや健康についての考えを言うと、「素人のお前が何を言うのか」的な反論をされることがあって溜め息が出ることがある。私自身にそんな専門的な知識があるわけがないではないか。私の知識や意見はあくまで諸専門家や誰かがどこかで主張しているものだ。主張にはピンキリがあるから、私は私が正しいと思うものをピックアップして伝えているに過ぎない。そんなことも前提で考えられないのかと。


「リテラシー」という言葉がある。正しく理解し正しく活かす、というような意味だ。日本人はメディアリテラシーが低いとか、ネットリテラシーが大事だとかはよく耳にするだろう。素人の私の意見の土台部分にいちいち噛みつくのは、これもある種のリテラシーのなさである。


そのリテラシーについて、このコロナ騒動を経験して、日本人が弱いのはメディアリテラシーだけでなく、確率・統計リテラシーもだなとつくづく思う。死亡「率」とか交通事故「率」とか、そういう統計データを理解しそれが日常生活とリンクしない人が余りに多い。例えば3万人死ぬ感染症を無視するくせに、1500人死ぬ感染症は命に代えても(笑)恐れる。そういう数値は一応分かっちゃいるんだけど、頭の中は流行や雰囲気の方が支配してしまう。


今(笑)などと茶化したけれど、現にノイローゼが増え、自殺者が増え、かえって他の病気をこじらせているなどという報道がされ始めているではないか。このリテラシーがあれば、コロナでの死亡率と予想される自殺者の死亡率を比べるだけでコロナ騒動は一瞬で終わるはず。「予想される」自殺者数もこれまでの統計がきちんと見れる人なら、単なる予想でなくかなり確率が高い(現実的な)ものだということもわかる。


メディアとは真実を隠すことに全力を挙げる媒体である。確率・統計とは真実の一部を表す指標である。この本質を確かに捉えて生活に活かしたい。自分の頭で一から考えられなくても、これはとピンときた人の意見をなぞり、その都度自分なりに検証する。その繰り返しによって徐々に真実を見る目は洗練されていく。


というようなことを、子らにはしっかり伝えていきたい。学業がパッとしなくたって、そういうリテラシーを鍛えておけばそれなりの人生が歩めるのではないか。他者から侵されず、奴隷にならず。自由ほど尊いものはない。


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