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  • 執筆者の写真反田孝之

自然栽培米経営の目途が立ったぞ

台風が去ったら一気に秋になってしまった。朝は涼しいを通り越してすっかり寒い。こんな日に稲刈りをやれば気持ちいいだろうなあなどと思う。


というのも、稲刈りは台風前の土曜日に終えてしまったから。今年は過去最速で終わったんじゃないか。こうなったのには理由があって、このたびはラインに色選を組み込んでいないから。とにかく一旦籾摺りをして、色選は後日かける選択を取ったのだ。こうなると乾燥機が2台の強みが目立つ。乾燥後の仮置きも駆使すれば、刈り取り不能日以外はほぼ刈れた。


有機の方が出来がよくて品質が心配と以前書いたが、まったく問題なかった。この体験は私にとってまた貴重なものとなった。いろんな仮説を立てて、稲大豆農家の自然栽培主体の「現実経営」ともいえるスタイルを確立してみたい。


そして近年苦戦の自然栽培の方も今年は豊作になった。兎にも角にも女房が除草に入れたのが大きい。これまでは春まきゴボウの除草があったし、女房でも操れる機械がなかったので、除草はほぼ私の肩にかかっているというのに、その私が大豆の準備に忙しく満足にやれたためしがなかった。春まきゴボウをやめて田んぼがこれだけ良くなるなら、そして歩行型除草機に50万!も払ったって、嬉しい限りじゃないか。


ただしその収量といえば、驚くなかれ、たった反収240キロ!である。え?!それで豊作なんて言ってんの?と言うなら言えばいい。それくらい近年は悪かった。


(昨年コナギの森と化し、わずか反収60キロだった田んぼも今年はまずまず。)


収量勝負はしない方がいい。この前有機はダメで、自然なら大いに結構と書いたけど、それは正確には昨年の自分の収量と比べるという意味。作物の収量とは、土質や風土、品種などの諸事情に大きく左右されるし、そこに投下した労力とも密接。だから他人と比べてもほとんど意味がない。どうしても比べたいのなら、目指す品質群を一緒にするという前提で、同じ品種で、共通性要素の強い地域内で、同じくらいの労力を投下して比較するのであれば、かろうじて意味がある。ま、ロジックに弱い人には何を言っても通じないんだけど。


話しを戻してうちの自然栽培の田んぼ。まだまだ草が多い。これまでは「多すぎ」で、ようやく人並みに「多く」なったというところか。6月でやり終わった時には「やっぱり多いね」と諦め半分だったのだ。しかし甲斐はあった。これからは曲りなりにも除草に女房が(笑)時間を裂けるようになることで、ようやく自然栽培米の経営に目途が立ったと言える。そして今後の耕起や除草の工夫と、自然栽培を続けることで起こる変化とが、どのように絡み合ってどのような結果をもたらしていくのかがとても楽しみである。2年前に激発してたクログワイも昨年大幅に減り、今年は所々にしか見なくなった。そして腐敗実験。まだまだ腐る。これもどいうなっていくか。


最低でも現状維持、普通は良くなる世界って、素晴らしいね。そして未来がどのくらいどう良くなるか(「為すか」ではなく「成るか」)が楽しみな仕事って最高じゃん。


ちなみにお米栽培を犠牲にしてやっている大豆。今年はうんざりするくらいの過去最高の豊作になりそう♪ ただ来年は、大豆播種と田植えをひっくり返そうかと画策中。まだ一筋縄ではいかん。

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