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  • 執筆者の写真反田孝之

​集落の山水パイプライン近くの地面から水が湧きだしていて、おそらくパイプの破損。​昨日バックホウを回送し、3人(80歳、69歳)で破損個所を探るべく開始。しかし雨上がりで土は重いし、なにより笹の根や大石が多くてたびたび途方に暮れた。それでつい欲を出してギリギリまでバックホウでまさぐったもんだから、案の定2度もパイプを折ってしまい藪蛇に・・。格闘3時間後に何とか小口を晒すことに成功。今朝からパイプで繋いでおいた。



それにしても体力の低下を痛感する。日々の農作業は機械仕事が多くピンとこないけど、こうやって土方をやると思い知る。いくら冬後のリハビリの時期とはいってもね。69歳の人の方がむしろ元気なくらいだ。昨夜は体が悲鳴を上げて満足に眠れなかったし、毎晩、腰と太ももがパンパンだ。


しかし外科的には弱った感がする一方で、内科的な体の調子はすこぶる良い。酒は美味いし、ウソコがきれい。この冬は珍しく3度の発熱をしたおかげがあるかもしれない。1度目は12月、2度目は1月、3度目はこの前の土日。いずれも流行った保育園から末娘が持ち帰り、順次家族全員に移るパターンで。全員がくたばるからその時は大変だ。それにしても今までは全員がかかることはそうそうなかった。今年は珍しい。あ、そうか、2度目は俺だけがかからんかったんだ。じゃあ俺はこの冬は2度か。


「病気が体のズレを直してくれる」ということは、古代ギリシャのヒポクラテスが言ったんだっけ? 自然栽培の世界ではあまりに定着した考え方だ。そういう意味ではこの春は何か気分がいい。あとは少しずつリハビリを頑張って体力を取り戻したい。

  • 執筆者の写真反田孝之

週間天気予報によると、あさってからどうやら本格的な春になりそうだ。


その春の到来と同時に憂鬱になるのが、ゴボウトンネルの温度管理。昨年から棟数を減らしたおかげで楽にはなった。しかし遠出やアポ入れがしにくくなる。休日のお出かけもやりにくくなる。そして春は強風の季節。温度管理で口を開けたトンネルは風に弱い。これまでには何度もビニールが飛ばされて楽でない修復作業を強いられたので、温度だけではなく風速にも油断がならない。ゴボウを焼くかビニールを飛ばされるかのどちらか二択、ということもシーズンに大体1度はあって、実に気が気でない。こんなのが4月20日ごろまで続く。


(春の強風で飛ばされたビニール。2019年3月。)


そして春にもう一つの気遣いがあって、稲の育苗。有機肥料を使うロットについては6~7年前からすっかり何の悩みもなくなって、寝ぼけていても立派な苗が立つようになった。しかし自然栽培の苗。こちらも何だかんだと「田植えができる」までの苗は立てれている。しかし田植え後の生育は有機肥料を使った苗と比べてあまりに大きな差がある。ここを改善するためには、まず前提としてあらゆる作業をきちっとやらなくてはならない。このプレッシャーは何年たっても大きいものがあり、3月下旬から5月の連休くらいまでは気が休まらない。


(苗の初期状態の悪い箇所。2022年4月。)



ということで「また春が来たなあ・・」とボヤいて憂鬱でいるということを紹介してみた(笑)。

  • 執筆者の写真反田孝之

養老孟子氏がまた本を出されていたらしい。そこからのダイジェスト記事。



子供がただのノイズになっている、ということを始めとしてこの記事内容は、氏がこれまでに繰り返し著書で述べてこられたことだ。氏の主張は、私が農業、とりわけ自然農業をやっているせいだろうか、共感し合点がいくことが多いので、これまでにも数冊読んできた。読んでない人にはせめてこのリンクの記事は読んでみて欲しい。


ちょっと趣旨を違う方へ向ける。この記事の中の件(くだり)、


『確固とした自分があると思い込んでいるいまの人は、この感じがわからない。むしろ変わることはマイナスだと思っています。私は私で、変わらないはず。だから変わりたくないのです。それでは、知ることはできません。


でも、先に書いたように、人間はいやおうなく変わっていきます。どう変わるかなんてわからない。変われば、大切なものも違ってきます。だから、人生の何割かは空白にして、偶然を受け入れられるようにしておかないといけません。人生は、「ああすれば、こうなる」というわけにはいきません。』


これを例えば、昨日うちに来た20人弱の農業大学校の生徒に伝えたい。


これからの前途洋洋の人生の中で、農業に少なからず従事するためには修業を勧めたい。しかし今や時代は変わりつつある。そんな道は探すことすら難しい。修業の良さはいろいろあるが、その中で、修業とはまずは「自分をなくすこと」から始める。まずは自分が目指すパフォーマンスを阻害する要素(農業で言うなら「肥毒」)を、言うなれば今までの人生の垢、を洗い直すことから始めるのだ。そんな垢などない!ではなくて、必ずある。しかも大量に。そしてそれらを消し去って始めて、その人自身が求めるパフォーマンスが表れる。結果的に「個性」と呼ばれることもある。


しかし自分がなくなったら大変だ!と慌てる人が今の時代には多いのだ。なくなるわけがないではないか!と修業をした私にはあまりに阿保らしく思えるのだが。


と、実はこのことと、最後に面白おかしく伝えた修業論の前書き10ページは繋がっている。ぜひまずは10年、このことを頭の片隅に置いてやってもらいたい。そうすれば修業をしなくたっていいパフォーマンスは可能だし、人生は大いに愉快になるだろうと思う。

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