top of page

土木の頃(5)

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 12 分前
  • 読了時間: 1分

初め書こうと思った内容からいつの間にか逸れてしまったようだ。他にも仕事自体の大変さとか、災害時対応の難儀さとか、書きたいことはあったような気がする。それでも私の中ではやっぱり人間関係の苦労が一際記憶に残っていて、書いた内容からはあまり伝わらなかったかもしれないが、きっと胃に穴が空いていたのではないかと思えるくらい、今思えば、あんな苦労は二度としたくないと思う一方で、20代半ばでそういう経験ができたことをとてもありがたく思う。


農業修行の道を模索し始めたとき、つまり土木業をやめたあとすぐ、3週間のイベントである「弥栄農芸学校」に参加した。そこで学校が終ろうとする頃、ある人に「ずいぶん表情が良くなった、来た時は顔がやつれていた」と言われた。それは自分でも実感があって、そうか疲れていたのかと、これからはもう少しだけ楽に生きて行きたいなと思ったものだ。


しかしその後、7カ月の岡山での農業修行が終ってからしばらくは、土木の頃よりももっとひどい苦労とストレスを抱える日々――人生で最悪の4カ月――を送ることとなる。またいつか紹介してみたい。

最新記事

すべて表示
土木の頃(4)

業者さんとの人間関係はこんな感じで何とかなった。むしろ大変なのは内部、従業員さんの方だった。私自身が仕事を覚えること以外に、とにかく会社の雰囲気を良くしたいという一念で日々を過ごしていたが、上手く行かないことが多くて面食らっていた。...

 
 
土木の頃(3)

当地で名高い「観音滝」の手前2kmは2車線で道幅が広い。ここは私が26歳の時に現場代理人(現場責任者)として道を拡幅した場所だ。うちの会社始まって以来の1億円越えという大きな現場でもあり、多くの下請け業者が入る。そこでこれまでに書いたような人間模様が繰り広げられていたが、そ...

 
 
土木の頃(2)

なめられないようにするためには、他にいろいろな工夫はするとしても、まずは仕事ができるところを見せなければならない。作業は実に多岐に渡ってやった。土方もするし、運転手もするし、重機にも乗る。土方は学生時代の造園のバイトでしこたま鍛えられたのでお手のもの。ただ重機(バックホウ)...

 
 
 

Comments


Commenting on this post isn't available anymore. Contact the site owner for more info.
    bottom of page