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農業の個別性

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2020年8月12日
  • 読了時間: 2分

う~ん、考えるべきことが多すぎる・・。考えるだけなら自称評論家や自称インテリの得意技だが、残念ながらそんな呑気な立場にはなく、実践して結果を出さねばならない。


もう何度も書いてきた気がするけど、「農業」って一括りにすることには何の意味もなくて、さらには慣行栽培、有機栽培、自然栽培という分類による経営の括りにも意味がなくて、農業がその場所の風土に思いっきり左右されるものである以上、農業経営はその個別性を無視することができない。うちの課題は唯一うちの課題だし、隣の農業者の課題は彼だけの課題である。ほぼ再現性がない。そういうことを無視して農業経営と一律に括って考えようとするから話がかみ合わなくなってくる。


どこかで聞いた、大河の一滴という言葉。この広い自然と社会の中で、今のうちの農地と風土(具体的には土、気候、農地事情、人、過疎など)に出会ったという偶然。この偶然との縁からすべては組み立てていかねばならない。他人が聞いても重要性が分からないか簡単かのような課題でも、当人にとっては最大の課題や難問であったりする。大河の中の一滴の偶然の寄り集まり。そのことを地味に受け入れていかなくてはならない。


そして農業特有の「時間軸」。自然栽培を始めて10年経った今、私にとって短くはない10年でも、実は畑にとってはほんの入り口であるかのような顔を見せている。とりわけゴボウ栽培については明らかにこれからが本番であるかのような現実にいささか面食らっているところだ。


何はともあれ、続けていくこと。そして「真っ当な」農地を後世に残すということ。一般論ではなくて、田津〇〇番地の農地をという意味で。あいにく残し方に、指針はあっても答えはない。だから面白く、そしてくたびれる。

ゴボウの種取りついでの大豆畑の眺め。元気が良くて最高に癒される。

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