top of page
執筆者の写真反田孝之

農業の個別性

う~ん、考えるべきことが多すぎる・・。考えるだけなら自称評論家や自称インテリの得意技だが、残念ながらそんな呑気な立場にはなく、実践して結果を出さねばならない。


もう何度も書いてきた気がするけど、「農業」って一括りにすることには何の意味もなくて、さらには慣行栽培、有機栽培、自然栽培という分類による経営の括りにも意味がなくて、農業がその場所の風土に思いっきり左右されるものである以上、農業経営はその個別性を無視することができない。うちの課題は唯一うちの課題だし、隣の農業者の課題は彼だけの課題である。ほぼ再現性がない。そういうことを無視して農業経営と一律に括って考えようとするから話がかみ合わなくなってくる。


どこかで聞いた、大河の一滴という言葉。この広い自然と社会の中で、今のうちの農地と風土(具体的には土、気候、農地事情、人、過疎など)に出会ったという偶然。この偶然との縁からすべては組み立てていかねばならない。他人が聞いても重要性が分からないか簡単かのような課題でも、当人にとっては最大の課題や難問であったりする。大河の中の一滴の偶然の寄り集まり。そのことを地味に受け入れていかなくてはならない。


そして農業特有の「時間軸」。自然栽培を始めて10年経った今、私にとって短くはない10年でも、実は畑にとってはほんの入り口であるかのような顔を見せている。とりわけゴボウ栽培については明らかにこれからが本番であるかのような現実にいささか面食らっているところだ。


何はともあれ、続けていくこと。そして「真っ当な」農地を後世に残すということ。一般論ではなくて、田津〇〇番地の農地をという意味で。あいにく残し方に、指針はあっても答えはない。だから面白く、そしてくたびれる。

ゴボウの種取りついでの大豆畑の眺め。元気が良くて最高に癒される。

最新記事

すべて表示

自然栽培と資源循環型栽培とは相いれないわけではない

圃場に何も入れない自然栽培は、身近な資源を循環させる農法と相容れない、と勝手に思いこんでいる人 は結構多い。肉を食べている癖にその動物の糞の処理を無視する気かとか、家庭で発生する生ごみを畑に入れないのはけしからんとか、これまでにはいろいろ言われてきた。...

今田地区の堤防の効果が怪しくなった

今回の洪水では改めて興味深いネタが得られた。これからも洪水は頻繁に起こるのだから、それを前提で、どうやって経営のダメージを最小限にできるかを考えていかねばならない。 一つ例え話をする。農業共済に収入保険という制度がある。経営全体で例年に比べて一定の売り上げ減が起きたときに保...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page