今の人生は道のない山歩きと同じこと
- 反田孝之
- 10月31日
- 読了時間: 3分
更新日:11月10日
10日ぶりの更新。特に訳があったわけでもなく、くたばったわけでも、忙しさが過ぎたわけでもない。昼飯時にデスクワークばかりやっていて書く間がなかったのだ。今日もそうだった。今14時半、休憩がてら書いている。
この間には、というか、この間にも、いろんなことがあった。まあ農業をやっていると、というか自然栽培をやっていると、はたまた機械をたくさん抱えていると、などという方が正解か、しょっちゅういろんなトラブルが起こる。毎日がエキサイティングでよいと若いころなら思えた。でもこの歳になるとどうにもしんどいなと。もう少し安定した日々に憧れるようになっている。いかんかね。
その中の、トラブルではないが大きなトピックの一つが大豆の出来についてだ。枝豆までは大豊作で、昨年のような登熟期の不安がなかったからおそらく大丈夫だろうと思っていたのに、まったく怪しくなった。少なくとも大豊作どころか豊作はない。普通もない。どの程度の悪さで済むか、という問題になっている。症状は今のところ何とも言えず、いろいろ。少なくとも青立ちはかなり発生している。それと葉が早く枯れる症状。大豆ってのはまったく気難しい作物だ。ここ数日はかなりいろいろ調べて、来年以降の対策を考えている。
農業人生の日々のいろいろは、総じて凹むことが多い。まあ生きてるんだから仕方のないことではある。
話変わって、先日触れた「ザッケン」の監修者、中尾佳貴くんが今日訪ねてきてくれた。彼はこの夏、南アルプス深南部で遭難し運よく助かって入院生活を余儀なくされた。遭難の原因は彼曰く、ベタな道迷いと滑落。深南部は道がはっきりしない奥山だ。地形図でルートを見て話を聞いて、彼が迷い始めたピーク付近は確かに難所だなと。

私は青春を道なき道を踏破する山歩きにかけた身だ。ルートファインディングの難しさの理解と道迷いの恐怖というのが骨の髄に染みている。そして話を聞いてすぐに30年以上も前のあの頃が思い出され、久しぶりにそういう道迷いのリスクを背負う山旅がしたくなった。
と思った次の瞬間、別にしなくてもいいかと思い直した。今だって一歩間違えば死んでもおかしくないような生活をしているし、道のないところを迷いながら死なないように歩いているではないか。ルートファインディングと今の経営は、消去法の大切さという技術面でも、上手く行けば実際に得られる自己満足が大きいという本質面でも大いに似通っている。今の人生は、つまりはそういうことかと大いに納得したひと時となった。


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