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各地の災害で今思うこと

  • 執筆者の写真: 反田孝之
    反田孝之
  • 2024年8月30日
  • 読了時間: 2分

神奈川県で広く冠水して大変なことになっているようだ。平塚市の12時間で190mmって、コンクリとアスファルトに覆われた都会だから、被害の様子や過程が映像を見る限りしか分からないレベル。青天のへきれきという人ばかりではないかと心配される。


なんだってそうだが、災害だって、経験に基づく心の準備があるのとないのでは受ける感覚がまったく異なる。これだけ洪水に打ちのめされても私らが意外と平気なのは、その予測が数日前から立ち、その光景が目に浮かび、どのような損害を被るか、どのような困難を強いられるのか、その後がどうなるか、がはっきりと想像できるからである。自分が知っている風景かどうか、ということが境目になることは、日々の生活の中でもとても多い。


そして災害に慣れればその一方で、災害に遭った人を心配する気持ちは、災害の経験を重ねるほど小さくなる気がする。人のことを心配している場合ではないということがあるのは確かだけれど、そのくらい自分らはしょっちゅうだという慣れが大きいし、もしかするとざまあみろと切り捨てる感情も皆無ではないだろう。実際に私も地震や土砂くずれなどは強く現地に思いを馳せることができても、冠水だとスルーし兼ねない。このたびは都市部で起こったからこそ注意を引いたのだろう。


逆の見方もあって、当地で洪水が起きても、もはや心配をしてくれる人は少ない。我々も特別心配してもらいたいとは思わない。


これから災害多発列島になれば、人々はだんだんこうやって当事者に対して無関心になっていくかもしれない。洪水にしばしばある立場としてはそれでも構わないし、よその災害を心配する立場としてはそれは残念である気がする。そこに偽善を軽蔑する気持ちと虚無感が加わって、暑く疲れた今がそれをかき回す。


今年はおそらくもう洪水はなく、これで3年連続かすりもしないことになり、今の農業を始めて20年で2度目の快事である。これが10年でも続いたなら、自分ももう少し変わるんじゃないかなと思う。

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